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early February 2014

Since I left Ahmadabad where delicious foods were everywhere, I had been always deadly hungry until reaching Diu, some 450km southwest. Probably mainly because I cycled the back roads, it was very difficult to find some decent foods as well as snacks like tasty “samosa”, ”pakora” or “vada pao” etc. on the way in this section. Once I finally found a restaurant, they served wonderful curry which I managed to sip with rice seemed to be cooked 3 days before in order to survive. To make matters worse, I didn’t have enough energy to cook myself as I had been sick at that time. The only thing to provide me with stable taste was salted potato chips which had surprisingly became my staple food on the route. Diu was oasis for me not because we can get alcohol if we want unlike in dry Gujarat, but just there were food everywhere. I truly love Indian food and have fun at every meal but something went wrong only this time..



2014年2月上旬

アフダマーバードの町を歩いていると、すぐにムスリムの多さに気付いた。
南でもムスリムの人々は見かけるけど印象に残るほどの数ではなかった。
顔立ちも南とやはり違う。これがアーリア人の血ってやつなんだなと思った。

town gate

praying

glass of mosq

ここのモスクは本当に美しかった。
そしてムスリムの祈りを久しぶりに間近にしてその祈りの美しさにもハッとした。

mosq outside

mosq inside

アフマダーバードを出てからディウまでの約450kmはいきなり修羅場となった。
十分暑いんだけど、この地にしては暑くない2月。
特に厳しい自然環境なわけでもなければ道も別に悪いわけでもない。
ただ個人的に体調を崩し発熱と下痢が続いたのに加え、
さらに食物がないという状態に陥った。
正確に言うと食べ物はあるけど、全然口に合わず食える食べ物が見つからなかった。

象

美味しい食べ物で溢れるアフマダーバードを発ち、裏道を繋いで南下。

ピリピリ

コットン

食堂はおろか、サモサとかワラパオなどの軽食もなかなか見つからず、やっと食堂を見つけて入ればすばらしい味のカレーが出てきて、空腹なのにちびちびとカレーを3日前に炊かれたであろうライスと混ぜて、生き抜くためになんとか口にした。
中華に逃げても結果は同じ。
期待を裏切らない味を提供してくれたのは塩味のポテトチップスだけだった。
どこで何を食べてもハズレがなかった南部の食事が恋しくなった。

ポテトリップス1

ポテト

空腹時はたいてい何食べてもそれなりに美味しく食べられるとそれまで思ってきたけど、
この考えは覆され、カレーは大概美味しいという自分の中の定説も覆された。

ポテトチップスとペプシなどの食事を繰り返す。
体調はなかなかよくならず、自炊するパワーもなく常に頗る腹が減っていた。
寺や診療所でこまめに休ませてもらいながらゆっくり進んだ。

断っておくけど、この後北方のカッチ地方に入ると状況はすぐに改善され、
以後毎日北インド料理を楽しんでいる。
南のほうが好みだけど、野菜豊富なインド料理は大好きだ。
ただこの区間だけは何故なのかどうしようもなかった。
またこれは自転車移動であったからの問題であり、
走るルート次第で違った結果になったかもしれないわけで、
当然ただの一つのケースに過ぎない。
このエリアの食事云々を語っているわけではなく、
またそんな資格もちょこっと走っただけの自分にはないことを補足させてもらいたい。

露店で賑わうディウ15km手前のウナ(Una)という活気のある町に着いたときは
まるでオアシスに辿り着いたかのようだった。
法で禁酒が決められているグジャラート州に囲まれるように位置しているディウは飲酒パラダイス。1961年まで400年以上もの間ポルトガルの支配下にあったため、植民地時代の建物やきれいで静かなビーチが地元観光客を集めている。

diu market

diu church

indian tourists

Diu beach

基本、酒を飲まない僕は酒を飲みにきたわけでもなく、
かといって体調の悪い僕は観光もそこそこに
なるべく力がつくものを食べるようにしてあとは部屋で休んでいた。

ターリー

個人的興味からガンジーが生まれたポルバンダルという港町まで走る計画だったけど、
ここまで時間がかかりすぎてしまったのと食事の問題も怖かったので、予定を変更しショートカットで北上を決めた。

翌日、ルート上にあったアジアで唯一野生のライオンがみられるというササーンギル国立公園まで走った。サファリツアーの料金を聞くだけ聞いて見たけど、予想通りなかなかの料金(7,000円くらい)だったのでライオンの看板をバックに写真をとって自分を満足させる。

ライオン

この晩この町で食べたビリヤー二(炊き込みご飯)が、また悪意を感じるほどしょっぱかった。
良心的な値段だし、彼らがここで商売をしてくれているから
自炊せずとも腹が満たせるんだと思って耐えていたんだけど、
それまでの経緯もあり、4分の1も食べきらないうちにカチンときて
ワァーワァーと怒鳴りつけて場の雰囲気をぶち壊した。

その後、口直しで食べたポテトチップスは相変わらず絶妙の塩加減だった。



@Khajuraho・India


30th ~31st January 2014


A story on the 33hours 1,891km longest train trip in my life from Chennai without getting down even a station, which brought me to Ahmedabad in Gujarat state, the starting point of my north India tour. On the trip I became friends with three college students who had sat opposite me. I had a pleasant and peaceful time all the way with them. But what was shocking to me was the scene of all the passengers throwing garbage out of the window after eating something. Not a garbage box was found at least in the sleeper car where I was and both sides. A guidebook says an estimated 17 to 20 million people travel by train in India every day. I wondered how much amount of garbage was thrown away at just the same moment in the country..

The train got to Ahmedabad almost right on schedule. But needless to say I could realize I had finally arrived in my destination only after confirming that my bicycle in the baggage car was being well. The price for the sleeper was very reasonable. I paid just 635 rupees for the trip, less than 1 cent per km. It was a fantastic trip thanks for the Indian train service which has one of the world’s most extensive rail network. It was quite different experience from the crowded and hectic city train during peak hours in Mumbai on which I had taken a ride before ;)


2014年1月30~31日


充分すぎる余裕を持って、
早朝チェンナイのセントラル鉄道駅に向かい、
駅前でサモサを食べて構内のオフィスへ。

eki

自転車積載料金346ルピー払う。1時間10ルピーの計算らしい。
荷物の大半も自転車にパッキングしたまま受け付けてくれ、盗人に抜き取られることがないよう紙とテープ、ヒモなどを使ってうまくラッピングしてくれた (要チップ)。
まったくもって納得の料金。ホッとして喜んで支払った。

荷物料金表

チャリ専用車両に

ホーム

定刻を30分ほど過ぎた午前10時過ぎ、いよいよ列車は動き出した。
行き先は北インド走行の出発点、グジャラート州アフマダーバード。

1,891km、約33時間半の人生最長の列車旅。
今後これだけの距離を一度も下車することなく旅する機会はもうないかもしれない。

インドでは貧富の差に合わせて同じ列車内に最大で7つまでクラス分けがされていて、
クラスにより料金は大きく異なる。
僕が5週間前から予約していたのは、
下から数えて2番目のエアコン無しの3段ベッドの寝台車。
1891kmの移動に払ったお金は635ルピー (1068円※自転車代含まず)。
10kmあたりにすると3.36ルピー。日本円で5円ちょっとだ。

チケット

僕の場所は1段目。
1,2段のベッドは、日中はシートとなるので寝ていられない。
でも窓があるので景色を眺められる。

車両3

逆に3段ベッドには窓はないけど、
誰にも邪魔されることなく好きなだけ寝ていられるメリットがある。

3段目

食事はチャパティとサブジのセットや炊き込みご飯、
スナックなどが食堂車両で購入できる。通常買うより多少高いけどこちらも良心的な料金。

チャパティ

プラウ


驚くべきはゴミ箱がないこと。車両によって、ゴミ箱が設置されているのかもしれないけど少なくとも自分のいる車両、その両隣の車両にも付いてなかった。食べ終わるとみんな窓から銀紙のお皿やプラスチックボトルを放り捨てるインディアンスタイル。一体この瞬間どれだけの数の列車がインド国内を走っていて、どれだけのゴミが窓から捨てられているのだろうかと考えてしまう。

特に決められた時間があるわけではないと思うけど、21時過ぎくらいになると
みんな徐々にシートの背もたれになっていた部分を持ち上げて2段目のベッドを作り就寝モードに。

就寝

デカン高原での夜は冷え込んだ。カルナータカからケーララへ入ったときに西ガート山脈を下って以来、ずっと低地走行だったので、デカン高原の夜の涼しさをすっかり忘れてしまい準備を怠っていた。フリースや毛布は自転車と一緒に荷物専用車両にあるバッグの中だった。寒さでよく眠れないままに、辺りが明るみだした。

人が立ち替わり入れ替わりするなか、
向かいにいた3人組とは終点まで一緒だったので自然と仲良くなった。彼らと変わり番子で3段目のベッドで仮眠を取り合いながら、景色の移り変わりを楽しむことができた。

友人
Shubh, Reynold, Amit

彼らはチェンナイにある海洋技術学校に通う生徒で、一人はマハラーシュトラから、一人はシッキムから、もう一人はヒマーチャルプラデーシュからそれぞれ親元を離れ、船舶のエンジニアになるべく主に船の修理、メンテナンスについて学んでいる。これからディウ近くの訓練所に3週間の実地訓練に行くところらしい。チェンナイにある学校なので州外からの生徒もタミル語を強いられるのかと思ったけど、インド中、また世界中から生徒がくるため生徒同士は通常ヒンドゥー語や英語でコミュニケーションをとるそうだ。3人とも世界中を航海して回りたいという冒険心からエンジニアへの道を選んだと言っていた。前向きな若者と話しているうちに自分も初心に帰れた。シッキムやその周辺では犬の他、納豆が食されているときいてびっくり。今回はシッキムに行く時間はとれないけど、いつか機会が持てれば是非とも訪れてみたい場所だ。

夕刻時、車窓からアラビア海がちらっと顔を出した。
いつの間にか広大な国土を横断してしまった。
なんだかもう何日かこのまま居させてほしい気分だったけど、
ほぼ定刻の20時前にアフマダーバードに到着。

荷物積載車両に行き相棒が無事なのを確認して、
初めて北のスタートラインに立てたことを実感し安堵とする。
コイツが無事でなければ、車中どんなに楽しい時間であったとしても意味がないから。

荷物ゲット

しかしムンバイ市内とその郊外を走る列車と違い、
なんとも居心地の良い穏やかな時の流れだった。



@Jaipur・India


21st January 2014

There are many places which have a long and hard-to-remember geographical name in India particularly along the east coast. A temple town, Rameswaram, which would be one of them, was bustling with devotees from all over the country when I arrived.

As I wanted to see the legendary Adam’s bridge, I cycled 15km further from there up to a small fishing village where the share-ride truck had waited for the passengers to Dhanushkodi, some more 5km away. I parked my bicycle and took a ride on the truck because deep sand made it impossible to cycle further.

In Dhanushkodi, once flourishing tourist and pilgrimage town and destroyed in the 1964 cyclone, now only a small number of fishermen lived there though the place had been declared as unfit for living by state’s government since the disaster. Some ruined building was seen uncontrolled around the village covered by sand. People told me that I needed to hire a jeep or walk on deep sandy road more 4km to reach the Adam’s bridge and even if I tried the Indian navy would stop me visiting there.. I reluctantly turned around because the truck was calling me with a horn.

I have no confidence in remembering the name of the abandoned village. However, the scene of a young fisherman mending their nets sitting on deep and white sand will continue to live on my mind.



2014年1月21日

長くて覚えにくい地名が多いインドの東海岸。
ラーメシュワラム。これはまだ簡単な方か。
でも周辺を走っていた当時、道を訊ねるときよく舌を絡ませていた記憶がある。
今はもうさすがに難なく言えるようになったけど。

海

船

ヒンドゥー教聖地であるそのラーメシュワラムは予想通り巡礼者で賑わっていた。
インド各地から信者が訪れるため、北インド料理を出すレストランも多く見られた。

はし

寺

到着したお昼時、安宿はまったく空いておらず部屋探しを諦め、
ひとまずチャリでアダムズ・ブリッジに行くことにした。
アダムズ・ブリッジはスリランカに向かって伸びている島々や岩礁からなる天然橋。

フロントバッグのマップケースに入れている地図の折り目が
ちょうどラーメシュワラムの町付近にあったので、
実は当日まで町の中心部が、
本土と大きな鉄橋で繋がったラーメシュワラム島の端っこで、
アダムズ・ブリッジもそこから伸びているのだと思っていたんだけど、
地図を広げてみればまだ20km以上端の端まではある。
暑いのに面倒臭かったけど、
そうわかってしまったら“行くっきゃねぇ“と思い腰を上げた。

15kmくらい走ると小さな漁村に着いた。
ここから先は砂が深く自転車で行くのは無理な様子。

1時間置きくらいでピストン運行している乗合ジープ(往復100ルピー)で約5km先にあるダーナシュコディ(Dhanushkodi)という漁村へ。

砂道バス

海バス

1964年のサイクロンで壊滅的な被害を被ったという村で、
部分的に砂に覆われる形で崩壊した建物が周辺にそのまま残されていた。
古くからの聖地のようでジープの乗客は大方やはり遠方からのヒンドゥー信者だった。

建物


現在の姿から想像するのはあまりに難しいけど、
1964年以前はチェンナイから鉄道がここまで伸びスリランカへのフェリーが出航していたため、行き交う人々でとても賑やかで栄えた町だったらしい。
サイクロン被害以来、自然災害を受けやすい地理的要因から
州政府は“人が住むに適さない場所”として見限り、
復興活動は行われていないそうだ。

通路おっちゃん

砂上の船

うき

その後、スリランカの航路はおそらくラーメシュワラムの町(?) に移されて存続していたようだけど、スリランカ内戦の激化で1984年以降この航路はやはり閉ざされたまま。「先日、国に戻って生まれて初めて国内を旅して回った。きれいな国だと思った。」 約2年前マラウイのムズズという町にいたときに、僕よりも年が少し上と思われるスリランカ商人がそう話していたことをよく覚えている。26年続いた内戦は2009年に終わった。内戦が終わってもう5年ほど経つ。航路がまだ開かれないのはシンハラ人とタミール人の溝の深さを反映しているのか。

天然橋を拝むには、この村からさらに4kmだか深い砂を進まなければならないとのこと。歩く他にジープをチャーターでもしなければそこまで行けない。
そして仮に行っても今は海軍が警備していて先に進めないみたいなことを人々は言っていた。

因みに、空から見るとそれらの島々岩礁は繋がっているように見えるらしいけど、少なくとも現在は繋がってはいないので歩いてはいけない。ヒンドゥーの叙述詩”ラーマーヤナ”の中で、魔王に妻をスリランカへとさらわれたラーマ王子が妻スィータを救い出すため、サルの将軍ハマヌーンの助けを借りて架けたとされる伝説が残る。

看板

もう少しいたかったけど、自分以外が既に乗り込んだジープがクラクションで早く来いと呼んでいる。今の自分に団体行動はきつい。

“見捨てられて”も尚この地に留まり、
ほそぼそと漁をしながら生きる人々が暮らす村を後にする。

急いで戻ろうとするけど砂が深くてなかなか進まない。

砂

この辺境で漁網を修理する少年の姿や砂の白さ深さは僕の中に焼きついている。
ただ、ダーナシュコディ、この名前はどうにも覚えていられそうにない。

少年


@Pushkar・India


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hiromu jimbo

Author:hiromu jimbo
I'm in a challenge to cycle around the world
since May 2009,started from Istanbul,Turkey.
Motivation for this journey just comes from big curiosity about the world.I'd like to see and feel the ordinary life of the people living in defferent cultures.

2009年5月末イスタンブールより
自転車世界一周挑戦中です。
世界で起きていることへの大きな好奇心がペダルを回しています。その土地で生きる人の日常生活を見ていけたらと思います。

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*special thanks to sekiji-san

distance:
68,781km (May09-May14)
66,676km (July2014- )

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