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21st January 2014

There are many places which have a long and hard-to-remember geographical name in India particularly along the east coast. A temple town, Rameswaram, which would be one of them, was bustling with devotees from all over the country when I arrived.

As I wanted to see the legendary Adam’s bridge, I cycled 15km further from there up to a small fishing village where the share-ride truck had waited for the passengers to Dhanushkodi, some more 5km away. I parked my bicycle and took a ride on the truck because deep sand made it impossible to cycle further.

In Dhanushkodi, once flourishing tourist and pilgrimage town and destroyed in the 1964 cyclone, now only a small number of fishermen lived there though the place had been declared as unfit for living by state’s government since the disaster. Some ruined building was seen uncontrolled around the village covered by sand. People told me that I needed to hire a jeep or walk on deep sandy road more 4km to reach the Adam’s bridge and even if I tried the Indian navy would stop me visiting there.. I reluctantly turned around because the truck was calling me with a horn.

I have no confidence in remembering the name of the abandoned village. However, the scene of a young fisherman mending their nets sitting on deep and white sand will continue to live on my mind.



2014年1月21日

長くて覚えにくい地名が多いインドの東海岸。
ラーメシュワラム。これはまだ簡単な方か。
でも周辺を走っていた当時、道を訊ねるときよく舌を絡ませていた記憶がある。
今はもうさすがに難なく言えるようになったけど。

海

船

ヒンドゥー教聖地であるそのラーメシュワラムは予想通り巡礼者で賑わっていた。
インド各地から信者が訪れるため、北インド料理を出すレストランも多く見られた。

はし

寺

到着したお昼時、安宿はまったく空いておらず部屋探しを諦め、
ひとまずチャリでアダムズ・ブリッジに行くことにした。
アダムズ・ブリッジはスリランカに向かって伸びている島々や岩礁からなる天然橋。

フロントバッグのマップケースに入れている地図の折り目が
ちょうどラーメシュワラムの町付近にあったので、
実は当日まで町の中心部が、
本土と大きな鉄橋で繋がったラーメシュワラム島の端っこで、
アダムズ・ブリッジもそこから伸びているのだと思っていたんだけど、
地図を広げてみればまだ20km以上端の端まではある。
暑いのに面倒臭かったけど、
そうわかってしまったら“行くっきゃねぇ“と思い腰を上げた。

15kmくらい走ると小さな漁村に着いた。
ここから先は砂が深く自転車で行くのは無理な様子。

1時間置きくらいでピストン運行している乗合ジープ(往復100ルピー)で約5km先にあるダーナシュコディ(Dhanushkodi)という漁村へ。

砂道バス

海バス

1964年のサイクロンで壊滅的な被害を被ったという村で、
部分的に砂に覆われる形で崩壊した建物が周辺にそのまま残されていた。
古くからの聖地のようでジープの乗客は大方やはり遠方からのヒンドゥー信者だった。

建物


現在の姿から想像するのはあまりに難しいけど、
1964年以前はチェンナイから鉄道がここまで伸びスリランカへのフェリーが出航していたため、行き交う人々でとても賑やかで栄えた町だったらしい。
サイクロン被害以来、自然災害を受けやすい地理的要因から
州政府は“人が住むに適さない場所”として見限り、
復興活動は行われていないそうだ。

通路おっちゃん

砂上の船

うき

その後、スリランカの航路はおそらくラーメシュワラムの町(?) に移されて存続していたようだけど、スリランカ内戦の激化で1984年以降この航路はやはり閉ざされたまま。「先日、国に戻って生まれて初めて国内を旅して回った。きれいな国だと思った。」 約2年前マラウイのムズズという町にいたときに、僕よりも年が少し上と思われるスリランカ商人がそう話していたことをよく覚えている。26年続いた内戦は2009年に終わった。内戦が終わってもう5年ほど経つ。航路がまだ開かれないのはシンハラ人とタミール人の溝の深さを反映しているのか。

天然橋を拝むには、この村からさらに4kmだか深い砂を進まなければならないとのこと。歩く他にジープをチャーターでもしなければそこまで行けない。
そして仮に行っても今は海軍が警備していて先に進めないみたいなことを人々は言っていた。

因みに、空から見るとそれらの島々岩礁は繋がっているように見えるらしいけど、少なくとも現在は繋がってはいないので歩いてはいけない。ヒンドゥーの叙述詩”ラーマーヤナ”の中で、魔王に妻をスリランカへとさらわれたラーマ王子が妻スィータを救い出すため、サルの将軍ハマヌーンの助けを借りて架けたとされる伝説が残る。

看板

もう少しいたかったけど、自分以外が既に乗り込んだジープがクラクションで早く来いと呼んでいる。今の自分に団体行動はきつい。

“見捨てられて”も尚この地に留まり、
ほそぼそと漁をしながら生きる人々が暮らす村を後にする。

急いで戻ろうとするけど砂が深くてなかなか進まない。

砂

この辺境で漁網を修理する少年の姿や砂の白さ深さは僕の中に焼きついている。
ただ、ダーナシュコディ、この名前はどうにも覚えていられそうにない。

少年


@Pushkar・India


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hiromu jimbo

Author:hiromu jimbo
I'm in a challenge to cycle around the world
since May 2009,started from Istanbul,Turkey.
Motivation for this journey just comes from big curiosity about the world.I'd like to see and feel the ordinary life of the people living in defferent cultures.

2009年5月末イスタンブールより
自転車世界一周挑戦中です。
世界で起きていることへの大きな好奇心がペダルを回しています。その土地で生きる人の日常生活を見ていけたらと思います。

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