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先日ガンビアに住むリベリア人の友人から連絡があった。

「15年ぶりに故郷モンロビアに戻った」

自分のように旅に出ていたわけではない。
彼は難民として同じ西アフリカのガンビアに逃れた。

隣国シエラレオネのダイヤモンド紛争と絡んだ権力者たちの利権争い。
訳もなく殺されたもの、捕らえられた後銃を渡され小型殺人マシンとなった幼い子どもたち、
反体制という名の私欲をこらしたレベルの低い勢力争いに
多くの民衆の人生が台無しにされた。
彼も人生を狂わされたその一人だった。
家族を殺され、左目の光も失った。13歳で彼は独りになった。

2010年3月、彼はガンビアの首都バンジュールの薬屋でアルバイトとして働いていた。
マラリアの薬を買いに行ったときに彼に出会った。
その後何度か他国で見る機会があったが、
自分が難民証明書を実際に見たのはこの時が初めてだった。
仲良くなってマーケット内のbarbar shopに一緒に頭を丸めに行った。
「モンロビアにいたときのことは何も覚えていない」そのとき彼はそう言っていた。
心の奥底に閉じ込めてあるのだと思う。

内戦後の2005年、アフリカ初となる女性大統領が選出され
新生リベリアは新しい時代へと舵を取った。
自分がいた2010年4月には内戦で破壊されたメスアルド川に架かる橋の工事が進められていた。
もう橋は完成しているのだろうか。
当時の自分にはあの橋が復興を掲げるリベリアを象徴しているように思えた。

monrovia


モンロビアにいたときだったか、
電気事情がマシな他の場所に移ってからだったか忘れたが、彼にメールを送った。
「君の生まれ故郷はもう安全だよ。優しい人たちにもたくさん会った」
そういう内容だったと思う。
滞在中、UNと書かれた国連軍の車をたくさん見た。まだ安全とは言えないのだろう。
返事をもらったかどうかも覚えていない。
アフリカの庶民にとってインターネットの世界は身近なものではない。
ろくな教育も受けることができなかったであろう彼が
メールアドレスを持ってメールのやりとりをしていることが不思議だった。
推測するに彼はアメリコ・ライベリアン(アメリカの解放奴隷)の子孫なのだと思う。
リベリア建国以来、教養のない先住民を支配してきた側の人間だ。
その顔立ち、放つ優しい雰囲気からも聡明さが伝わってくる男だった。

2006年に一時帰国した際に出会ったというリベリア人の奥さんと暮らしているという。
彼の子かわからないが二人の子どもも一緒だ。

「幸せだ」と書いてあった。

ロウソクの明かりが灯る薄暗い夜のモンロビアの町が思い浮かぶ。
新しい家族とともに彼の右目に映るモンロビアの町並みは明るい色をしているだろうか。

liberia flag
(※モンロビア=リベリアの首都)
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hiromu jimbo

Author:hiromu jimbo
I'm in a challenge to cycle around the world
since May 2009,started from Istanbul,Turkey.
Motivation for this journey just comes from big curiosity about the world.I'd like to see and feel the ordinary life of the people living in defferent cultures.

2009年5月末イスタンブールより
自転車世界一周挑戦中です。
世界で起きていることへの大きな好奇心がペダルを回しています。その土地で生きる人の日常生活を見ていけたらと思います。

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