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20th June~17th July 2015

My return to Turkey after 6 years accidentally coincided with Ramazan, the Islamic special month, in which Muslims do not eat, drink, smoke, or take part in sexual relations from sunrise to sunset. Basically Turkey is a generous Islamic country but as I had been in southeastern Anatolia, religiously most strict area, in nearly the whole month, most of the people seemed to follow the religious deed except for small children, ill persons and hard workers. Fortunately for me, although the restaurants are completely closed in the daytime, most of the shops were open even the fasting period. So it was not a big issue at all for my stomach condition. The most critical thing that Ramazan had brought me was I could not get a chai invitation, but some exception, from people who were banned in principal from even having a glass of chai following the rule. In general, tea time always gives me a good opportunity to chat with people so it was a real pity.

Cycling into the Kurdish land, the daytime temperature started rising up at over 40 degrees and I took off a Turkish flag pasted on my cycling bag since some Kurdish people kindly gave me an advice to do so from concern about my secure. In the last night of the month I pitched my tent in an olive field in the Euphrates river valley just behind a petrol station after taking final “Iftar “(evening meal to break the fast) with the staffs including an Arabic refugee worker from Syria who spoke little Turkish. On the way there I had seen some of the camps set up everywhere in and out the area for Syrian refugees. Compared with the Syrian Kurds who mostly seems to have some relatives or friends in Turkey, it would be very much hard for Arabic people to adapt themselves to Turkish society because of language barrier. Past 3am in the next morning right after an Azan, the Islamic call to prayer, which informed them the end of Ramazan, I closed my tent quickly and left the place in the dark as usual before the sun goes up and burnt the Mesopotamia plain and my brain without mercy.

mesopotamia


2015年6月20日~7月17日
ラマダーン(6月18日~7月16日)

有り金のジョージアン・コインで出国前にストーブ用のガソリンを補充しておく。次なる国トルコではガソリンは倍以上の値で売られている(1ℓ=約220~230円)。一回に購入するのは1リットルも満たない量だから大した問題でもないのだけどこの小さな節約の積み重ねが大事。越境すると通貨ラリは逆立ちしてリラになった。

kodomotachi

ガサガサっと発泡スチロール上を徘徊するトカゲたちが発する走音ならぬ騒音で目が覚めた。雨に濡れた体で黒海を臨む空き小屋で過ごした入国初日の夜はなかなかに不快なもの。黒海沿岸はとにかく雨が多くて気持ちも晴れなかった。Hopaの町に着くと人々はチャイに呼んでくれ、6年前と変わらぬ温かさをグラスに注いでくれた。が、実際はこの3日前よりイスラム世界は1ヶ月の断食月に突入している。図らずしてラマダーン月にきれいに被せるように入国してしまった。ムスリムは期間中の日の出前から日没まで飲食や喫煙、性交を断つ。国境を越えて間もない黒海沿岸ではジョージアや対岸のロシアなどの人々と文化がミックスされているためか、または旅行者の往来が盛んのためかロカンタ(食堂)も普通に開いていたし喫茶店ではそんなふうに普通にチャイを飲んでいる人も多かったため一見その影響はさほどないようにも思えた。

発砲スチロール

政教分離で寛容なイスラム国家であるトルコにあっても東部内陸部は宗教に厳格なエリア。内陸に行くにつれやはりラマダーンの影響をまともに受けるようになった。食堂は日中完全にクローズ。ありがたいことに売店は基本開いているので、購入して店の前などで食事をさせてもらう。路脇の野菜果物の直売所も心強かった。断食中の人々の手前一言断って了承を得て食べるのだけど、やはり視線も痛いし一人では食べづらい。町で宿に泊まったときは宿に戻って部屋で食事をした。暑くて生ものをバッグの中に長時間保管しておけないため売店がないような町間を走るときは食はよりシンプルになる。干しぶどうやオリーブ、ビスケット、そして焼きたてではなくなった腐る一歩手前のラマダーンピデ(パン)がすっかり定番のランチメニュー。

めろんすいか

メロンストップ

くわのみ

らずべりー

ただそのような食事情よりも自分にとって問題だったのはチャイに誘ってもらえないことに尽きた。日中、水もチャイもムスリムは“基本”飲んではいけないため、”例外”も実はそれなりにあったのだけれど、人々と交流できるもっとも良い時間であるティータイムを共有できる機会は少なかった。そしてそれは期間中イフタール(断食明けの夕食)に招いて頂けることはあっても、残念ながら一度も家に招いて頂く機会がなかったこととも無関係ではなかったと思う。国内でもっともホスピタリティが高いといわれるエリアを走っていただけにやはりそのことが残念だった。またタイミングが悪いことに同時期に反中国デモがイスタンブールで発生。中国政府が新疆ウイグル自治区に住むトルコ系のウイグル族に対して断食やその他の信仰行為の禁止を強制しているとされる問題に抗議したもの。みんなそのことを知っているので中国人顔の僕に対する応対も身元を伝えないといつも以上に残念なものであることがしばしばだった。

らまだんらんち

今回のように夏季に迎えるラマダーンはムスリムにとって一層つらいもの。イスラム暦に基づいたラマダーン月は毎年約11日ずつずれていくため年々その季節もずれていく。日の長い夏季にラマダーンを迎えている今は約17時間 (およそ午前3時~午後8時まで) 彼らは厳密には飲食することができない。それにもかかわらず日中喫茶店の席は男たちで埋まっていたりもする。大好きなチャイを飲まずにただ椅子に座って新聞を読んだりしてお腹が空かないように静かに日が沈むのを待っている。子供や病人、重労働者などを除きほとんどの人が断食している様子なのだけど、喫煙に関してはどういうわけか出会う人出会う人皆が一様に遠慮なく吸っている。この国のラマダーンには禁煙が除外されているのだろうか。ちなみにトルコではたばこ一箱20本入りが8~10リラ(400円~450円)する。

たばこ

大きな町の旅行者が多く訪れるエリアではカフェやレストランが日中でもまれに開いていて、普通に食事をしている旅行者の姿が散見された。ただ東部南東部ではこういうところは本当にまれ。大きい町の場合はイフタールどきの食堂は毎日大忙し。腹を空かせた人々が席に座って、ご馳走を前に19:45過ぎのアザーンが聞こえるのを今か今かと待ち侘びている。礼拝を呼びかけるこのアザーンが日没の合図。アザーンが鳴った瞬間、みな一斉に水やアイランを豪快に口の中に流し込む。厳格に断食を貫いた人にとっては17時間ぶりの水分だ。そして1時間もしないうちにもう食堂は閉店となる。モスクの前や広場などにはイフタール会場が設置され人々に無料で食事が提供されている。小さな町では売店が一斉に閉まり町から人影が消えゴーストタウンとなる。みんなイフタールのため家族のもとに帰るからだ。家族そろっての夕食を終えるとまた静かに何軒かが営業を始める、そういうパターンだった。

ラマダーンカレンダー

イフタール会場

Iftar

それなりにあった“例外”の中で面白かったのは、エルズルムからワン湖に向けてだだっ広い草原が広がる道を南東に進んでいたときのこと。ユニフォームを来た交通整理だか道路整備の仕事をしている5人の男性を遠くに見つけ、“しめた”と思いボトル内のお湯を水に変えてもらおうと彼らに近づいていく。すると予期せぬことにそのままランチに呼んでもらえた。聞けば5人のうち2人はアルメニア系のクリスチャン。2つのでかい石を風除けに新聞紙で薪に火をつけてフライパンに油を流し込むとソーセージと卵に素早く火を通してあっという間にランチタイム。残りの3人はクルド人ムスリムで断食中の身のためすぐ後ろでずっと座ってみていた。3人に「すみません」と伝えると3人ではなく5人からの「ノープロブレム」。食後のチャイも非ムスリムの僕ら3人のみでもらった。面白いという表現を使ったのは、ムスリムが大半を占めるこの国では珍しい異教徒で構成されたグループの興味深いラマダーン時の行動の一つのケースを見れたから。この場合非ムスリムの2人は気を遣って3人から離れて食事をするのが筋なのではないかなと思ったけど、彼らの友情の前にそんな気遣いは必要ないようだった。

道

ラマダーンランチ2

ラマダーンランチ

この貴重な“ラマダーンランチ”を体験した翌日からクルド人の土地に入った。トルコの旗はバッグから剥がした。クルドの人々がそうしたほうが良いと身を案じて忠告してくれたからだ。PKKのアジトがすぐ側にあるとのことだった。欧米諸国からテロリストのレッテルを貼られているクルド人組織PKK。ときに過激になりすぎテロとみなされても仕方がない行為もしてきたようだけれども少なくとも彼らの戦闘行為の根本にあるのは民族独立・解放といった真っ当なもので、イスラム国のように己の理想とする国づくりといった身勝手な思想に基づくものではない。シリア内トルコ国境付近のコバ二では現在もクルド人組織(YPG/YPJ)とイスラム国との戦闘が続いており、PKKはトルコ内から同胞を援護している。

pkk

amd

パン屋

結果的に同じことなのだけど、僕がこの時期にこのエリアに入っていったのは、シリアに近づくのが目的であったわけではなくクルド人の土地を見てみたかったから。もちろん行く先々で現地の人々に状況を訊ねながら。トルコ人に行く先を伝えると十中八九あそこはテロリストが住む場所で危険だからやめておけとなる。ところがクルド人に聞くと面白いことに国境を越えなければ全く問題ないといわれる。クルド人の話題をするとトルコ人は大概煙たい顔をする。両者には戦いの歴史がある。“教養レベルが低いテロリスト”そういう汚い言葉をクルドの人々に対して使う人がとても多い。そうなると僕はあまり気持ちよくはない。クルドの人々に聞くと「我々は彼らを受け入れようとしているが彼らは我々を受け入れようとしない」と同じ負の反応でも言葉を選んだ答えが返ってくる。僕はクルド側から話を聞くことが多いから思う事も日記帳に書く内容もどうしてもクルド寄りになる。

Van lake

クルドソング

クルド人の土地に入るとより厳しい暑さに襲われた。長い間40度のバーの越え方を忘れていた温度計の赤い感温液は、一度その越え方を思い出すとすぐに慣れてしまったようで連日11時過ぎにもなると当たり前のように40度のバーを越えるようになった。ガソリンスタンド内に付属してあるマスジッド (礼拝室) や売店脇の日陰などで横にならせてもらったりしながら、感温液が下りてくる夕方を待った。

きゅうり

おんどけい

boys

7月16日。ラマダーン月最終日はユーフラテス川流域のガソリンスタンドでアラブ人難民従業員とイフタールを共に頂き、その裏のオリーブ畑でテントを張らせてもらった。ここまでにすでにいくつかのシリア難民キャンプを横目に走ってきていた。トルコ内には現在200万人を超えるシリア難民が生活しているという。キャンプの数は入ってくる難民の数に追いついておらずどんどん外に外にと設営されているようだ。国境付近の町に集められた難民は大型バスで周辺のキャンプに輸送されていく。今やトルコは世界最大の難民受け入れ国になってしまった。シリア・クルドの人々には家族、親戚がいる場合が多くまた言葉の壁もないのでまだ適応性があるけれど、身寄りなく言葉の壁がある大半のアラブ人にとってはトルコ社会で生きていくのは容易なことではない。幸運にもガソリンスタンドや食堂、農園での雑務の職を得て働いているアラブ人シリア難民に何人かあった。彼らの話す片言のトルコ語には胸が痛み複雑な思いにさせられた。

camp

翌朝3時頃、オリーブ畑の中で聞いたこの日のアザーンはサフルの時間(断食前の朝食)を告げるものではなくラマダーン月の終わりを告げるもの。これをもって世間はバイラムと呼ばれる3日間のお祭りに入った。陽気な音楽が数分流れ、人々は歓喜して踊っているようだった。パン屋さんはもうラマダーンピデは焼かないのだろうか。テントをたたみ、ギラギラの太陽がメソポタミアの大地を照らす前にこの日もまた未明からペダルを漕ぎ始めた。

らまだんぴで

@Göreme・Turkey


※7月20日にウルファ南のスルチュで発生したイスラム国の犯行と見られる自爆テロに関連して起きた一連のいざこざにより、7月24日、トルコ軍はイスラム国(シリア内)、クルディスタン自治区(イラク内)への空爆を敢行。停戦していたトルコ軍とPKKの戦闘の再燃は避けられそうもない。シリア内戦に対してもトルコが本格的に参戦してくる様子。シリアは治まるどころかますます遠い場所になっていく模様。今こうしている間にもシリアでは人々が国境を目指して息を切らしながら戦火の中を生き延びている。近くで起きているあまりに遠い出来事に自分の身に置き換えて考えることが難しい。
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Comment
172
Sの住所
神保君

gmailまだ生きてる?
そちらにメールしました。

ダメなら・・・・またハガキください(笑

じゃーねー!!

174
Re: Sの住所
こたははさん

届いています
どうもありがとうございます!

そうでしたか6年ぶりに、、
なんだか面白いことになってますね(僕だけか笑)


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hiromu jimbo

Author:hiromu jimbo
I'm in a challenge to cycle around the world
since May 2009,started from Istanbul,Turkey.
Motivation for this journey just comes from big curiosity about the world.I'd like to see and feel the ordinary life of the people living in defferent cultures.

2009年5月末イスタンブールより
自転車世界一周挑戦中です。
世界で起きていることへの大きな好奇心がペダルを回しています。その土地で生きる人の日常生活を見ていけたらと思います。

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*special thanks to sekiji-san

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68,781km (May09-May14)
36,938km (July2014- )

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