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8th~16th February 2015

The most impressive place of whole my trip in Iran was Kordestan, the western part of the country near the Iraqi border. Kurdish people, the main residents of the area usually live in the mountainous terrain with such a steep slope that the landscape as well as the people dressed differently was just special for me. A large number of Kurds also lives in Iraq, Syria and Turkey as an ethnic minority and has sought their independence in the each country. Some young and kind Kurds who had invited me to their cozy room started singing their Kurdish anthem for me with showing me their own flag and being very careful not to be heard by anyone outside. Unlike their brothers in Iraq who have got their self governing state, they have not had freedom so it is not allowed to hoist their flag and sing their song in public. They learn underground and have to sing it underground. It was in February, middle of the winter, when I was there and well remember that many of them had been proudly telling me “In the spring our land is exceedingly beautiful” By now there would be getting so bright with the numerous colorful flowers. Their forbidden song always freely echo throughout the spring mountain valleys in my head.  

sanson


2015年2月8~16日

女性はみな厳粛にチャドールをまとっている。ケーマンシャーへと続く道では、シーア派聖地カルバラやナジャフへの巡礼者を乗せたイラクへのツアーバスを何台か見かけた。バスのうしろ姿は瞬く間に小さくなっていきやがて一面に広がるじゃがいも畑の中に消えていった。その向こうに見える白い山々が冬の寒さを静かに伝えている。

potato field

この頃の僕の心はすっかりすさんでいた。「チーニー(中国人)」と東洋人を小バカにする人々。「チンチョンチン」擦れ違いざま目も合わせずにそう言って嘲笑しながら過ぎていく人々。世界の至るところに多かれ少なかれこの東洋人軽視は見られる気がするけれど、イランでのそれは酷く、僕のケースだとエスファハンを発ってからローレスタンを経てのエリアでは特別酷かった。加えてこの国にはアフガン人差別もある。多数のアフガン難民を抱えるイランでは彼らのことを汚らしいと見下す人々がとても多い。差別の裏側にはアフガン人がイランの人々の職を奪い、また麻薬を売り国内の治安を脅かしているという実情がある。同じ日本人でも顔立ちによって何も言われない場合もあるようだけど、日に焼けた僕の顔はアフガンに住むハザラ人にとても似ているようで「チーニー」よりも「アフガニー」という言葉に僕は精神的にかなり疲弊させられた(ハザラ人については別の機会にまた少し書きたいと思う)。

店で物一つ気持ちよく買わせてもらえない状態が続く。「お前アフガニーか?」
欲しいものを店員に伝えると、先ず言われる言葉がこれ。挨拶の返しがこれの場合も多々。買う気が失せる。「違う」といっても「いやアフガニーだよお前は」と言われることだってある。自分がどこから来ようが全くどうでも良いこと。少なくともこのタイミングにおいては。こちらはただ腹を満たす食糧を売ってほしいだけ。自分の出自に興味があるなら、せめて挨拶を済ませ、そして売買の話をしてからにでもして欲しい。何度か書いているように何人に見られようが自分は一向に構わないのだけど、明らかに軽蔑が含められた言葉とその見下した言い方に反発せずに普通に振舞うには時にとてつもないストレスを溜め込む必要があった。耐え切れずいちいち向き合ってはいったいどれだけの無駄な時間を過ごしたことか。

ハマダン州にあるナハヴァンドという町では190cmのマッチョとやはりこれが原因で取っ組み合いになった。周りが止めてくれると信じて大男に向かっていったけど、本当にすぐ止めてくれたもんだから心底ホッとした。僕は素直に腕っ節には自信がない。ナハヴァンドは小さな町。事後、ガソリンスタンドでキャンプ用の水をもらっているとき人々に事の話を聞いた警察官がやってきた。申し訳なく思ったのか「すぐにその男を捕まえてくるから待っていろ」と言って仲間に連絡を取ると、本当に小1時間ほどでその大男を自分の前に連れてきた。男の両手首には手錠がかけられている。「申し訳なかった。イランを嫌いにならないで欲しい。君が望むのならこの男を牢屋にぶちこみ刑罰に処すつもりだ」と警察官は言う。これは大袈裟に言っているのではなく、イランという国では本当にそうなるのだと思う。ちなみに僕らの会話は学校で英語の先生しているという女性が通訳となって仲介していた。謝ってくれればそれでよかったのでそう伝えた。男は平謝りすると堪え切れない笑いを押し隠しながら去って行った。彼はきっとまた同じことを繰り返すだろう。一ヶ月くらい牢屋の中で反省させるべきだった。ちなみにこの晩僕は警察が用意してくれたホテルの部屋に泊まった。全くもってテントで良かったけれど、このあと暗闇の中走って場所を探すよりは厚意に甘えるのがよほど現実的だった。汚さないように気を遣うそれはそれは立派な部屋だった。本当に良くも悪くもイランは旅行者に極端だ。

village

クルディスタンへ入るとそのような言葉へのストレスは明らかに減った。山にへばりつくように家々が段々に建ち並ぶ。山々を越えていく道は険しいのだけれど、余所者を自然に且つ優しく受け入れてくれるクルドの人々のおかげで次第にまた旅に向き合えるようになった。容易に近づけない険しい地形が外界とは一風異なったな文化習慣をこの地に形成させている。

mountain road

ojichan

クルド人男性はダブダブのズボンを履いているからすぐ見分けがつく。親元を離れ親戚を頼りに数ヶ月前イラクからやってきて暮らしているというダナは、Noryab村にある彼の部屋に滞在中ずっと貸してくれていたこのクルドのダブダブパンツをそのままお土産にもっていけと言ってくれた。大変光栄な言葉だったけど、このクルドパンツは腰部で縛らないとズルっと足元まで簡単に下がってしまうなかなか重量感たっぷりな代物で、染み付いたダナの男性臭がきついのでという理由をつけてお茶目に断った。余談だけどこの日の晩は部屋で彼らと“るろうに剣心”のファルシ語字幕のDVDを見ていた。僕はもちろんただ自然に入ってくる日本語の音声を聞いていただけ。観賞中も僕以外の3人はナマーズ (礼拝) を怠ることはなかった。クルドの人々の多くはイランで大勢を占めるシーア派ではなくスンニ派ムスリム。シーアとは違い、開かずに両腕を組んで祈りを捧げるスンニスタイル。お祈りも3回ではなく一日5回する。このときばかりは彼らのナマーズには一切関心を示さず僕はノートパソコンのスクリーンに意識を集中していた。久々に観る日本の映画だった。この山岳地帯で日本の幕末の動乱を目の当たりにできようとはいったい誰が予想できようか。それにしても江口洋介の斉藤一役は個人的にとってもよかった。

kurumi

kurd water pot

女性も一般的なイラン人基準よりも自由でカラフルな服装な人が多くこれはたまたまかもしれないけれどチャドールを着ている人も見かけなかったような気がする。ファインダー越しに鮮やかな色に包まれた彼女らを覗いていると、まるでインドにいるかのような錯覚に陥ったけど、重量感のあるペルシア絨毯がその錯覚をすぐに打ち消した。

Kurd children

独立した祖国を持たない世界最大の民族(およそ3000万人)と言われるクルド人。もともと、彼らはオスマントルコ勢力下で、ひとつの国に居住していたようだけど、第一次世界大戦後イギリスとフランスが自国の利益のために勝手に国境線を設定した結果、民族がその国境線で複数の国に分断されてしまったのだそうだ。大きな人口を抱えるイラク、シリア、トルコ、そしてイランでは分離独立を求め、地元政府との間で自治や独立を求める闘争を続けてきた。

map

2月11日のイスラム革命記念日。テレビでは首都テヘランでの盛大な祝賀セレモニーの様子を伝えていた。この日もやはりやたらと険しい山の中にあるNevinという村にいたのだけれど、30分くらい形式的に子供たちが外でイラン国旗を振っただけですぐに記念セレモニーは終わってしまった。政府の目があるため形だけ取り繕っている明らかにそんな様子だった。イランの国旗は見られてもクルディスタンのフラッグはもちろんここでは見られない。湾岸戦争後アメリカの介入でクルド人の自治政府が設立されたイラクや、内戦の中で自治を勝ち取りつつあるシリア内にいるクルド人のような自由はここにはない。トルコ同様、イラン政府はクルド人の自治運動を厳しく弾圧している。

snow road

obachan

クルドの人々の心情を考慮に入れると、イラン国旗をバッグに貼ったままクルド人の地を走るのは少し気が引けたけれど、クルディスタンフラッグを貼って走るということは、中国占領下のチベットでチベットフラッグを掲げて走ることと同じようなものなので、旅行者だろうが即刻逮捕・投獄されることは間違いないと思う。

Marivanという町で出会った青年たちも、やはり他のイランの人々のように家へ招き入れてくれた。彼らは町を案内してくれたのち、クルド人の歌 (国歌) を僕に聞かせてくれた。部屋の中で肩を組み、そして響かないように周りを気にしながら。クルディスタンフラッグもこのとき彼らが見せてくれた。彼らはこうやって隠れて闇で歌うしかない。“地下”でクルド国歌を学び、響かないように“地下”でそれを歌う。掲げることの許されない国旗が在り、他人前で歌うことの許されない国歌がこの世界には存在している、そう知らされた夜だった。曲調はそのような背景を感じさせるものではなく意外に明るいものであったけれど、その調べの裏に在る深い哀愁の念は他人には到底計り知れるものではないのだろう。

あれから早4ヶ月の時が過ぎようとしている。短い時間を共にした空の向こうにいる彼らのことを思い出すことは未だに少なくない。僕はクルディスタンの人と景色がイランの中で群を抜いて一番好きだったから。春が来た今彼らの土地は美しい花々で溢れていることだろう。「ほんとに綺麗なんだぞ春のクルディスタンは」クルドの人々はみな口を揃えて誇らしげにそう言っていた。僕の頭の中で描き出される春模様の山谷には、肩を組みながら歌う彼らの陽気な歌声がいつもこだましている。

dana

禁じられたアンセムを持つ人々に出会った日々の記録



どうもおひさしぶりです。雨が多い春のコーカサス地方ですが、どの土地も本当に綺麗で気持ちよく走ってこれました。明日いよいよトルコへと越境します。真新しい自転車とバッグで6年前に旅立った場所です。自転車には錆びが目立ち、革バッグには穴が空き、防水バッグはその防水性を失いつつありますが、日本で支えてくれている方々旅先で出会った方々のおかげで、あのときと変わらず今も健康体で走り続けることができていることに改めて感謝します。 

georgia


@Batumi・Georgia
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Comment
159
じんちゃん!いまはどこにいるんだー??
暖かくなってきたな!
そっちはどうだ?

160
Re: タイトルなし
げしもとさん
トルコに入ったところだよ。暖かいを通り越して暑いくらいだわ。春を喜んでたらもう夏だね。しかしフーターズから一年近くだね。0ちゃんの三日月型の目がなんとも懐かしいよ笑 どうよそっちは?

161
お元気そうでなによりです
久しぶりに拝見させて頂きました。
そろそろチェアーの写真をお願いしますよ。

162
Re: お元気そうでなによりです
ひろし

おまえが来てくれたらそんな写真も撮りたいけどなぁ
今もドーハなのか?

163
そうです
今もドーハに住んでますよー
砂漠ばっかで、やっぱり自転車では厳しいですよね?
今もトルコですか?

懐かしいですね

164
Re: そうです
砂漠でもカタールなら舗装道だべ(?)道とかは問題ないとしてやはりカタール行きが未だまったく(笑)見えてこないのは、まずイエメンが治まってもらわないとアラビア半島抜けられないっていうのが前提としてもうずっとあるのに加えて、イランにいるとき一応調べたんだがカタール行きの定期船ていうのは(イランからだけじゃなく)現状運航してない。つまり飛ばなくちゃ入国できん。そしてなんとUAEへのフェリーもない。つまり飛ばなくちゃ出国もできん(サウジがあるからね)。半島内のフライトはそう高くないようだけど、どっかからカタールに飛んで、ドバイに飛んで、オマーンからまたはドバイに戻って再々度どっかに飛ぶとかはチャリあるとちとしんどいなと

まだトルコだよ。生活に大して関係ないんだろけどマダーン終わるなもうすぐ。

> 懐かしいですね
懐かしいな

165
確かに
確かに他国と繋がる海路はありませんね。飛んで来て頂いても、暑くて自転車無理?とかになるとおもいますよ笑

イランんって内部から招聘してもらわなくても入国できるんですか?

166
Re: 確かに
真っ向勝負はできんね笑
日の出前から朝にかけてと、日没前の数時間走ってという感じになるかと。
日中はモスクとかガソスタに身を置かせてもらって(道路情報のレポートよろしく)。
今実は灼熱地帯にいてそんなふうにして凌いでる。
そっちは灼熱ならぬ灼熱地獄だろうから尚更ね。

前にも伝えたとおりアラブを含めれるかどうかは弱気のままだけど、
現役で走ってる間にイエメンが開けばアフリカ北東部と絡めて真剣に計画を立てると思う。
そのときにひろしがまだいればドーハに飛んでいくし、いなければカタールなんざ完全無視(笑)

イランだけど自分の場合は旅行会社に依頼して招待状発行してもらってるよ。
http://kotambola.blog.fc2.com/blog-entry-95.html
招待状無しでも15日のアライバルビザなら今空港で取れてるみたい。
そのビザは各州都のパスポートオフィスで1週間の延長が可能、つまり計3週間は滞在できる。
それで旅してる人にイランで何人か会ったよ。
ただイランのビザ条件は変わりやすいから行く予定があるなら最新情報チェックは抜かりなく。

167
そうですね
灼熱地獄で一歩間違えるとモスクさえありませんから。。。
基本的に完全無視してもらって問題ないと思います笑

なるほど、旅行会社からの招聘ですね。ありがとうございます、参考になりました!

イエメンが終わったらエジプトあたりで会いますかね。

168
Re: タイトルなし
え、モスクやガソスタとかないんですか?
それ車でもエンストしたら死んじゃうでしょ、どこ住んでんのよ笑

ひとまず欧州やってからアラスカに飛ぶつもりだよ。
エジプトあたりに着くのは当分先になりそう。
都合がつくならどこでもいいから会いにきてくれ。

169
どこでもいいっす
どっかで会えればいいっすね

今は嫁と子供がいて動きにくいっす笑

せんぱい、あのアナログチャーハンお願いします。

170
Re: どこでもいいっす
どのことか確信がもてないんだけど、たぶん”あれ”のことなような、、
今もあんな感じのを作りながら生き延びてるよ、まあ進歩がないです。
いつでも作るよ、あんなんでいいなら笑

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hiromu jimbo

Author:hiromu jimbo
I'm in a challenge to cycle around the world
since May 2009,started from Istanbul,Turkey.
Motivation for this journey just comes from big curiosity about the world.I'd like to see and feel the ordinary life of the people living in defferent cultures.

2009年5月末イスタンブールより
自転車世界一周挑戦中です。
世界で起きていることへの大きな好奇心がペダルを回しています。その土地で生きる人の日常生活を見ていけたらと思います。

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my journey
*special thanks to sekiji-san

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