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27th April 2015

Introducing a warm supporting activity with “haiku” poems by Iranian people gifted in 2011 to those who affected by the Great East Japan Earthquake and attendant Tunami for their psychological care in charge of the Japanese backup activity for the Bam Earthquake in 2003. I was moved my heart when I met these poems in a small desert town in eastern Iran, the hometown of its projector and translator. It would have greatly encouraged them to be strong in that critical situation. Sorry for no ability and time for translation. But as well as financial and material support, this sort of mental care must be needed in Nepal now..

句集



2015年4月27日


日本で大地が揺れた
世界では
たくさんの心が揺れた

                   モハンマド・ホセイン・マヘディープール


イランの人々から東日本大震災の被災者の方々に当時届けられた復興への祈りが込められた“希望”という名のHaiku集があるのをご存知ですか?旅の途中で出会ったこのHaiku集の存在を日本の友人にも伝えたいと思い今回紹介させてもらうことにしました。先日発生したネパールでの大地震で多くの死者・被災者が出ていますが、財政的物質的援助に加え今このようなメンタルケアが求められているのかもしれません。

※Haiku集の作成発案者で日本語訳も担当したテヘラン大学世界研究学部日本研究学科の研究員ザーケリーさんの許可を得、「Haiku集 希望」内のご本人による巻頭挨拶文とイランの人々から寄せられたHaikuのいくつかを巻中より以下にそのまま転写します。

ザーケリーさん




『Haiku集 希望』刊行にあたって

2011年3月11日に東北地方で発生した地震とそれに伴って来襲した津波によって、日本は甚大な被害に直面し、日本政府は閣議でこの地震の名称を「東北地方太平洋沖地震」とすることを発表しました。日本にこの地震が発生したのは、イランの正月の十日ほど前でした。当時イランは新年の準備に忙しい時期でしたが、私たちはテレビで放映されたニュースの画像を見て、被害の大きさに驚かされました。私は、地震の一週間後の新年の休みにイランの東部にある故郷の小さな町に帰省しましたが、そこでも東日本の大地震のニュースを毎日チェックして、日本のために何かできることはないかと考えていました。

2003年、イランの南東部にあるバム市に大きな地震が起こった時、援助のために日本からいろいろな団体が来てくれました。その時、テヘラン大学日本文学学科を卒業したばかりだった私は通訳として、派遣された日本赤十字社の医療チームに協力し、医療チームのスタッフの方々が尽力される姿を直接見ることができました。地震から一ヶ月ほど経つと、ケガや病気の治療にもまして、被災者の心のケアが大切になりました。生き残った人々は、親族が亡くなった苦痛を忘れるために麻薬に頼るなどの恐れがありました。そのため精神的な支援がたいへん重要になったのです。日本赤十字社のチームの提案で、ある避難民キャンプで仮設幼稚園を作ろうということになりました。幼稚園の備品を調達しようと、私と三人の日本人スタッフはバムの近くにあるジーロフト市へと出かけました。行きの自動車の運転手はアミーンという、地震で生き残ったバムの人でした。彼はトラックの運転手だったので、地震の時ちょうどバムにはいませんでした。戻ってみると、アミーンの家族は全員亡くなり、彼は突然ひとりぼっちになってしまったことが分かったのです。

ジーロフトから帰った翌日、医療所のテントの中でお昼ご飯を食べていた時、アミーンの話が出ました。雨がやわらかに降って、テントに水滴が落ちる音が聞こえていました。アミーンのために皆が悩んでいましたが、熊本赤十字病院から派遣された桑田さんというお医者さんが、ひとつの俳句を詠みました。いまその句を正確には思い出せませんが、「そんな瓦礫のなかにも雨の音はまた楽しい」というような意味であったことをよく覚えています。その俳句が与えた明るい希望の力を、私は、石に刻まれたように忘れることが出来ません。

故郷で東日本大震災のニュースを追いかけながら、バム地震のことを思い出しました。日本社会にたいして私たちイラン人は恩義を感じている・・・今度は私たちがそれに報いなければならない...と考えました。桑田先生の俳句を思い出して、将来への希望を失わないための俳句集を編集したいと考えました。

俳句は日本独自の短詩ですが、各国で翻訳され、驚くほど早く全世界に広まり、愛好家を生み出しました。Haikuという言葉は、世界中で (もちろんイランでも) よく知られるようになっています。とはいえイランでは、多くの人がHaikuとは日本の短詩であるということくらいは知っていても、「季語」や「五・七・五」などその原則は知りません。そのため詠まれたペルシャ語のHaikuのほとんどは、翻訳書の影響で三行の短詩ではあるものの、日本語の俳句の原則を守っているわけではありません。

イランで俳句が人気を集めていることに気がついた私は、震災後の日本に対する支援活動として、将来への希望と日本の復興を祈るHaikuの句会を催して、集まったHaikuを日本語に翻訳・刊行し、日本の被災地に送ってはどうか、というアイデアを思いつきました。これをテヘラン大学世界研究学部日本研究学科の主任であるナギーザーデ先生にご相談したところ、先生もそのアイデアに賛成してくださいました。正月の休みが終わってすぐテヘランに戻ると、世界研究学部のアーメリー学部長も賛成の意向を示してくださいました。

こうして、2011年5月4日に「希望俳句会」(希望のHaikuの句会)が世界研究学部のハンナーネホールで催され、80人ほどが参加しました。また私があるインターネットのサイトを通じて句会で詠む俳句を募集したところ、イラン各州の50人余りの詩人たちから自作の短詩が送られてきました。それぞれが一句から十句ほどのHaikuを送ってきましたが、そこから一、二句を選び、翻訳しました。「希望俳句会」ではナギーサーデ先生とアーメリー学部長が、東日本大震災の被災者にお見舞いの言葉を述べられました。その後15人の発表者が、壇上で自分の句を詠み、復興への祈りを捧げました。

今お手元にあるこの冊子は、こうしてイラン全土から送られてきたHaikuの選集です。このような選集はペルシャ語のHaikuにとって最初の試みかもしれません。ほとんどの句は、日本人が俳句と考えるものとは関係がないように見えるかもしれません。しかし、ひとつひとつの句が「将来への希望を失わないで」という願いを伝えているのです。これらは季語や五・七・五の定型といった俳句の原則にのっとってはいませんが、それぞれの句が、日本に対する私たちの深い感謝のしるしなのです。遠いイランでも大勢の人々が美しい日本を心配し、復興をお祈りしていることを、この句集から感じ取っていただけたらと願っております。私たちのこのささやかな支援活動が、イランと日本の関係史に刻まれることを祈ります。

                             ゴドラッド・ザーケリー




ザーケリーさんとの出会いのきっかけは、上記文中に出てくる砂漠地帯にある彼の故郷の小さな町を僕が偶然訪れたことがきっかけでした (2015年1月上旬)。町のサンドイッチ店で彼のいとこのアリさんと出会い、言われるがままに受けた電話口から聞こえる堪能な日本語を聞いたときは驚きました。「今夜は私の故郷でゆっくりしていってください」とザケーリさんは優しい言葉をかけて下さいました。

みなさん

アリさんは町のキャラバンサライ (隊商宿) や地下水槽を見に連れて行ってくれました。町のキャラバンサライは50頭ものラクダを繋いでおける立派なものでした。イランには999のキャラバンサライがあるのだと町の人々から教わりました。上階に上り東方に広がる砂漠を眺め旅立っていくキャラバン隊の姿を連想しました。エスファハンからきたキャラバン隊はこの地で休み、マシュハドそしてその先のアフガニスタン・へラートへと砂漠の海を渡っていったのです。かつてシルクロードと呼ばれた道をとおってインドから中央アジアを経てここまで来ましたが、ここでもその道の存在を確かに感じることができました。

サライ


周辺の町々と同様に、乾燥帯にあるこの町ではかつては山の伏水をガナートという地下水路を経由させ町に運んできていたそうですが、20年ほど前に枯れてしまったそうで水槽に水はありませんでした。井戸に加え、町脇を流れる細い運河の水はしょっぱく飲用には適しません。町にはサフラン畑やピスタチオ、ザクロの木などが見られましたが、大部分の農作物は収穫できないため飲用水と同様に離れた町から運ばれてくるのだと聞きました。決して住みやすいとは言えない環境の中で生きている人々の生活に共通するのはいつも工夫と助け合いです。その環境が強く温かい人間を育てます。ここに無いものがあればここにしか無いものが在ります。アリさんと奥さんが作ってくれたキャブビーフという砂漠に生きる木のエキスで作るデザートがここでしか味わえないように。

砂漠のデザート

デザートつくり

砂漠のデザート2

それから約2ヶ月後、念願叶ってテヘラン大学にザケーリさんを訪ねました。アリさんのお宅で「Haiku集 希望」を手にとって以来、是非とも彼に会ってみたいと強く思っていました。“希望”に寄せられた一句一句に目をとおすたび、熱いものが胸に込み上げてきたことを覚えています。偶然にもこのときも東日本大震災が起きた4年前のようにちょうど新年前で、彼が故郷に帰省する前でした。ザケーリさんの研究室や自宅には日本に関する書籍がたくさん。国内で販売されている日本の有名小説のペルシア語訳も多く担当されてこられたようです。現在は日本映画史や戦後の日本経済の発達過程などの研究で忙しくしておられました。あのとき電話口からそして“希望”の巻頭挨拶から感じられた彼の温かい人柄、そしてその彼が持つ日本に対する想い。実際ご本人にお会いしてこの2つを再認識させられました。彼の人柄と思いやりのルーツは彼の育った故郷にあるのではないかと思います。

町


日本とイランの関係史に深く刻まれた、彼とイランの人々から送られた支援活動を一人でも多くの人に知ってもらい、またそれが新たな両国の関係史を築いていくことを祈ります。

                                神保広武


逃げ場所はどこにもない
鴎 (カモメ) さえ
白い靴下はおじいさんの

                        レザー・アアラービー

荒れはてた店
主のない品々
警察もこず盗人もなし
侍達、侍達よ!
                        ビージャーン・オーシーダリー

家の瓦礫の上に
酒を飲む人
「生きていくために」と杯をあけ

                       メヘディー・シャーデカール

死は母の懐に似てさらに温か
どうか母に伝えて
私の墓から顔をあげてと

※ペルシャ語では死ぬことを母の懐に寝るという表現がある

                       ヴァヒード・キャーニー


大地は咽び (むせび) 泣いた。
その肩を揺らしながら
あなたは泣かないで

                       ダーヴード・マレクモハッマディー


最後の廃墟は
雀たちの最初の巣


壁さえない家でもかまうものか
それなら毎夜
月がお客

                       アミーレアリー・ソレイマーニー


にわかに荒れ狂う水
人であふれる濡れた墓地
悲しみを分かち合いながら

                       プーラーン・カーヴェ



散りゆく葉は
死ではなく
あらたな命が生まれる報せ

               ファフレッディーン・アフマディーサヴァーデクーヒー


蝶のさなぎは
黒く枯れた枝の上
青い芽がぽつぽつと

                    スィーマーネ・ホセイニー・ザアフェラーニ


年老いた鳥は
案山子の悪夢
瓜畑は
鳥のみたまぼろし

                    アッバース・ホシュアマレ・カーシャーニー


茶碗がぶつかりあう
廃墟へと向かう
世界のなかで
      
                       スィールース・ノウザリー


繋ぎ合わせて
砕けた鏡のかけらを
私をもう一度
そこに見ることが出来るように


                       レザー・ハーレディー

流れゆく日々
ふたつの墓石の間がゴール
サッカーに興ずる子供達
村の墓地で

                       アーレフ・アーハンギャル


桜がまた咲いたら
富士を見上げて
私を呼んで

                      エフサーン・レザーイー


高く寄せ
安らかにかえす波

                      サーマン・バフティャーリー


我慢しておくれ
駅のようになって
そのままじっと
私が着くまで

                      キャマール・ベラング


ちらちらと光る
蛍一匹
はなずおうの若葉に

                     アーラシュ・ガニーザーデ


餌を運ぶ
蟻の群れ
傷ついた雀のために

                     ホセイン・モスタファプール


日出ずる国
あなたの手をとる
人々の手の影
そして静まった大地と海

                     エフサーン・ラジービー・デフナヴィー


青い芽は
木々に伸びゆく
いずれの死のあとにも

                    アーテフェ・バルズィーン


あなたの揺れるたびごとに
私の両手も揺れている
驚愕とめまいのうちに
あなたの荒廃をグーグルに探すとき

                    エルハーム・クーシェシ

雪の白さ
そしてお前の手の温もりを
握りしめて

                    マフムード・アフシャーリー

金魚はひっそりと
津波のこない
庭の池

                   エブラーヒーム・アーデルニャー


日本よ!
今日お前の濡れた瞳を
けして乾くことのない
いずこの海に洗ったのか

                   ラーズィーイェ・ガーセムネジャード


俳句
ただひとつ
作られるべき爆弾

                   サーデグー・アブディー


亡骸
なおその乳を吸う
嬰児 (えいじ) と

フェレシテ・パナーヒー

昨日の陰を
瓦礫の下から引っ張り出す
今日の晴れた空の下に

                   アーラシュ・ノセラトッラヒー


津波あと
残されたものは月と魚
境内の石の水盤

                   
                   マスィーヘ・ターレビャーン

夜の絵を描く
ちいさなこども
そこにはいつもたくさんの星

                   ソフラーブ・アフマディヤーン


津波が連れ去った
木で出来た家々と
お祖母さんたちを

                   ゾウヤー・ゴウハリーン


暗い町
瓦礫を照らす
月ひとつ

                  ファリーバー・アラブニャー


どんな地震も私を壊すことは出来ない
どんな波も私をも連れ去ることは出来ない
富士のように屈強な私を

                  マーイエデ・デッガティナジュド


津波にありがとうと言おう
もはや
おまえは海になってしまったけれど
世界中の波が
おまえを家へ連れ帰ってくれるから

                  カームラーン・ラスルザーデ


波間に浮かぶ
お人形
微笑んで

                  マンスル・タブリーズィー


津波は去り
雀たちは
新しい巣作りに忙しく

                  アッバース・ホセインネジャード

                   
船は屋根の上、屋根は波の上
水よ引け!
土は生きるためにある


冬、三月十一日、涙の雨
それでも
桜の花は開く


                   アリー・ジャーンヴァンド



@Telavi・Georgia

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hiromu jimbo

Author:hiromu jimbo
I'm in a challenge to cycle around the world
since May 2009,started from Istanbul,Turkey.
Motivation for this journey just comes from big curiosity about the world.I'd like to see and feel the ordinary life of the people living in defferent cultures.

2009年5月末イスタンブールより
自転車世界一周挑戦中です。
世界で起きていることへの大きな好奇心がペダルを回しています。その土地で生きる人の日常生活を見ていけたらと思います。

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my journey
*special thanks to sekiji-san

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68,781km (May09-May14)
36,938km (July2014- )

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