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20th March 2015

Since ancient times, Persian people have been feeling the arrival of spring at the same time as "No Ruz", the turn of the year in their calendar.

Shopping streets in Fuman in Gilan province are crowed with people busy with preparation for welcoming New Year. Besides “Haft Seen” ornaments sold on the street, the locally harvested vegetables and fruits and big fishes from “the sea of sweet”, which will take center stage on their table, are on sale in the bazaar. I heard they call the Caspian sea “the sea of sweet” for its low concentration of salt.

In Fuman, I’m staying in an old man’s house for some days with him. He, Hosein-san, is over 60 years old and used to work as a factory worker in Japan for 7 years in 1980’s~1990’s. On the way here I have seen many Iranian men with similar experience and still speak good Japanese. Unlike that time, it has become a big challenge for them to get visa for Japan nowadays. Most of those migrating workers were very keen to their work just like Hosein-san. But on the other hand a few had bad conducts of selling illegal drugs or forged telephone cards or even thieved and often had struggles which have lost their credit.

Just until recently Hosein-san had had a retirement life with leaving operation of his own restaurant which he started running some years after his return home. But he started working again now at his friend’s new restaurant nearby for their demand for his help. His town always attracts many domestic tourists in this time of the year so he is very busy but I’m very glad to hear his story in Japan even in a short time every day.

In a few hours, No Ruz will come at around 2:15AM. Hosein-san won’t come back home from his work till past midnight. I wonder how he would celebrate it when he was in Japan far away from home. When “Tadaima” (“I’m home” in Japanese) can be heard, we will peacefully celebrate together before falling asleep on the red Persian carpet. My extended visa will soon be expired at last. I have to leave here tomorrow for Azerbaijan going up along the world largest lake while searching for subtle signal of spring on the road where still chilly wind blowing from the sea of sweet.

HS


2015年3月20日

いよいよノウルーズ(元旦)を明日に控えたイラン。
新しい年の幕開けとともに、古来よりイランの人々は春の訪れを感じてきた。

年末の買い物客で賑わうギーラン州フーマンの商店街は活気に満ちている。
新年を迎える準備でみな忙しそう。正月用の飾りが路上で売られ、地産の野菜や果物に加え、食卓の主役・甘い海から採れたの大きな魚が市場に並ぶ。塩分濃度が低いため、地元の人々はカスピ海のことを“甘い海”と呼ぶのだそうだ。

しろみ魚

フーマンではホセインさんという62歳のおじさんの家にお世話になっている。
旅行者好きで、町や自身が経営するレストランで旅行者に会うと
ちょくちょく家に招き入れてきたというホセインさん。
旅行者が残したメッセージが書かれたノートには日本人の名前が一番多く、
僕とホセインさんとを繋げてくれた自転車旅行の先輩方の名前も見られる。

7年間日本へ出稼ぎに出ていた経歴を持つホセインさん。家族、友人たちの援助も得ながら集めた資金を元に、27年前 “豊かな生活”を求め単身で異国の地を踏んだ。仕事を得、生活が安定してからの一時期は奥さんと息子さんを日本に呼んで一緒に暮らしていたという。埼玉県内でダンボール作りや溶接工、時計などの部品作りの仕事をされていたらしい。似たような経歴を持ち、日本語を未だに上手に話すイランのおじさんは多い。

イランを旅していると、「どうやったら日本のビザは取れるんだ?」
「ビザが取れるようにおまえの力を貸してくれよ」と相談を受けたりする。
ホセインさんは観光ビザで入国し、3ヶ月毎に延長をして日本に滞在していた。当時は観光ビザですべてまかりとおっていたという。その頃はまだ取得が簡単だったという日本ビザは今ではめっきり取得困難となった。ホセインさんが日本に渡ってから1年半ほどで情勢は変わり始め、新たなに日本に来ることを望むイラン人にビザが発行されなくなったという。ホセインさんら真面目に働いていた出稼ぎ労働者がいた一方で麻薬や偽造テレカを売って不正なお金を稼いでいたイラン人がいたからだ。泥棒や喧嘩沙汰も多かったと聞く。働く意欲のある人には残念な話しだけど、失った信用はなかなか取り戻せないということなのだと思う。

きんぎょ

イランの正月休みは、日本と同じく家族親戚が集まり新年を賑やかに祝ったり、
国内旅行をしたりして過ごすのが一般的。ホセインさんは奥さんとは離婚して今は一人暮らし。息子さんは30kmほど離れたラシュトで弁護士をしていると聞いたけど、よく会っているし、まだ独身ということもあり新年といっても特別何かすることはないようだ。テヘランにいる姉妹も帰省の予定はないとのこと。新年間近、他人である自分が長居するのは憚れる時期だけど、毎日天気が優れず、また喜んでくれているようにも思えるため、まだ居させてもらっている。「イツマデデモイテダイジョウブダカラ」に甘え、お邪魔して今日で4日目になる。クリスマス直前に入国して早3ヶ月。延長したビザも間もなく切れる。天候の良し悪しに関わらず明日こそ出発しなくては。

ホセインさんは8年前に始めたレストランの経営を若者に任せて、最近までリタイア生活を送っていたようだけど、友人が始めたレストランのヘルプで9ヶ月前から再び現役に戻って働き始めている。正月休みに入り、国内旅行者が集まるフーマンでは今が稼ぎ時。生憎の天気が続く中でもホセインさんは毎日大忙し。
朝10時頃出掛け15時過ぎに一旦帰ってきては、仮眠後19時半にまた出て行く。帰宅は深夜1時頃。僕はいつもと変わらず観光や自転車整備その他の雑務をして過ごしている。

haft seen doll

一緒にいるときは「アナタハゲストダカラ」と何も手伝わせてくれないホセインさん。ホセインさんに限らず、この言葉はホスピタリティ溢れるイラン人やパキスタン人の口癖。せめてもと、昨夜は風邪気味のホセインさんのために生姜入りはちみつレモンティーを作って待っている予定だった。南アフリカのダーバンで僕が酷い風邪に苦しんでいたとき、当時お世話になっていた人は毎日作ってくれたものだった。

バザールで買ってきた生姜の皮を剥き始めてカリっと味見したときに
“それ”が生姜じゃないことに気付いたときはびっくりたまげた。
生姜だと思って買った、見た目どう見ても生姜でしかない“それ”の正体は、
イモの一種だったらしく検討違いの味が口の中に広がった。

帰ってきたホセインさんにそれを伝えると想像以上に大喜び。
なんでも日本に住み始めてまだ間もないころ、
ホセインさんは僕と逆の間違いを犯したそうな。
イモと思って買ってきた見た目どう見てもイモでしかない“それ”の
皮を剥いて食べたとき、びっくりたまげてしまった当時のホセインさん。
それはそれは全く検討違いの味が口に広がったことかと思う。

れもん&しょうが

聞けば、イランでも生姜は手に入るけど、
粉末にされて売られているのが一般的で元の姿を知る人は少ないみたい。
ちなみにこのイモはイランで主にトルシー(漬け物)にして食べられているもの。

日本にいた頃の話をしているときが、
ホセインさんの表情が一番柔らかくなる。
短い時間だけど一緒に過ごしてそんなふうに思った。

あと数時間でノウルーズがやってくる。
午前1時近くにならないとホセインさんは仕事から帰ってこない。
日本にいたときはどんな風に新年を祝っていたのだろう。
「タダイマ~」が聞こえたら、
そんなことを訊ねながら静かに新年の訪れを祝って眠りにつこう。
イラン暦1394年の年明けは午前2:15分頃だそうだ。

明日はいよいよアゼルバイジャン目指し、カスピ海に沿って北上を開始する。
まだ肌寒い“甘い海”からの風吹く道に微かな春の気配を探しながら。

甘い海


@Quba・Azerbaijan
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Comment
157
生姜のくだりウケるわ!笑

158
Re: タイトルなし
その修羅場の状況を書いてほしかったよ笑

生姜と大根をおろして、ネギを刻んでしょう油を垂らして食ってしまいたいよ
(冷やっこね)

呼び名ジョージアに変更本当だね!
入国日と同時とはなんかいいことあるかもしれんなあ
ねぇか


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hiromu jimbo

Author:hiromu jimbo
I'm in a challenge to cycle around the world
since May 2009,started from Istanbul,Turkey.
Motivation for this journey just comes from big curiosity about the world.I'd like to see and feel the ordinary life of the people living in defferent cultures.

2009年5月末イスタンブールより
自転車世界一周挑戦中です。
世界で起きていることへの大きな好奇心がペダルを回しています。その土地で生きる人の日常生活を見ていけたらと思います。

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