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2016年1月11日


続いていきます。輪周記史上2連投なんて初めてなんじゃないでしょうか。


現在はリトアニアを出国しポーランドに入って南下途中です。ほんと年末年始にいきなり寒くなったもんだから気温の変化に適応するのにあたふたしてしまいました。いろいろと荷物もさらに増えてしまいました。ありがたいことにリトアニアにはSenukaiというカインズホームやコーナンのようなお店がありまして、下記のようなさらなる防寒対策に向けた装備をささっと安価で整えることができました。リトアニア国内の大きな町にはだいたいSenukaiはあるみたいです。必要が生じたときに装備が購入できるというのは大変助かります。やはりヨーロッパ、地の利ってやつですね。

初走りの前やここまでの道中に準備したものを挙げてみると、まず防寒でテントの下に敷くグラウンドシートの下にさらにビニールシートを。テント内の銀マットも2重に。もう1枚モンベルのコンパクトマットを持ってるので3重にもできます。でもそれは雨でマットが濡れているときなどを除いて僕は完全に枕として使っています。絶妙の高さと弾力で長年快眠を安定提供してくれてきたものでこれが頭の下にないともうしっくりこないもんで。また相棒を霜まみれに放置するのも気の毒なので何年かぶりにカバーを被せるようになりました。地ならしに雪かき用スコップも運んでいます。全長90cmくらいあるんですが組み立て式でコンパクトに持ち運べるものです。

forest camp

水は液体のままでは持ち運びができません。すぐカッチカチに凍ります。サーモポットがなかったので年末は雪を熱して水にしていました。しかし困ったことに極寒にもかかわらず雪が少ないため雪集めに難儀し新年を迎えたところでとうとうサーモポットを1本購入しました。その後すぐ1本が2本になり、ここに着いてから3本目も購入したところです。これで雪が十分なくとも計2.5リットルの水をキープできることになります。体を洗うのはもちろんのこと拭いたりなどもしたいとも思わない寒さなので、これだけあれば夕食とコーヒーやお茶2~3杯分のほか湯たんぽ用の水も確保できます。

flow of ice

温度計も頂き物のSUUNTOの優れものをベラルーシで失って(肌身離さず使っているフロントバッグにぶら下げていたものなのでおそらくホルダー部が外れて落ちてしまったんだと思っているんですが)しまったので新しいものを用意しました。それも数日の使用で誤って踏み潰して壊してしまいまた買い直しました。今は外気温用とテント内室温用と2つ所持しています。そうそう、ペグを打つために手のひらサイズの石もバッグに入っています。通常は野営地周辺に転がっている石を探せばいいんですが、石が地面にくっついて凍って取れないからです。その石でもペグが入らないほど凍結しているようなら軽く穴を掘ってペグを雪で埋めています。

freezing air

19

年末の出来事を反省しまして、年明け以降は人様に迷惑かけないようおとなしく雪上で夜を越しています。相変わらず積雪は少ないです。深さのない浅いものですが雪の上で寝てるわけだから体感温度は気温(テント内の室温より)よりももちろん低くなります。これはもう耐えるしかありません。この凍てつく寒空の下 ”Go away” だけはもう勘弁ですから。

front of frozen lake


reindeer

カウナスを出てからここに着くまで間5泊しましたが、正直たった5泊のキャンプで心身ともにかなり辛かったですし、装備品に関してはボロボロという感じです。気温は毎日-16度以下まで下がりました。

wind guard

frypan

防寒に対する自分の知恵不足に加え、いくら着込んでも寝袋や衣類の質の問題がどうしてもあるので、自分の装備ではこの寒さになるとまともには眠ることができません。またキエフで再会したケイさんユキさんペアがもらせてくれたホッカイロはとてもよく働いてくれ大変助かりました。寝付けるところまではいかないのですが耐え切れうる夜になります。やはり背中に貼るのがベストでした。パッケージには就寝時に使用しないようにと書いてあったので良い子のみなさんはマネしないようにお願いします。

kairo

装備品がボロボロになるというのは、キャンプ期間中テントも寝袋も濡れたままというか軽く凍ったままということです。これは製品の品質保持に良いわけがありません。フライシートはとくにパリパリになって設営時は割れてしまいそうでいつも不安になります。結露が凍ってくれるのはぽたぽた垂れてくるよりも不快感がなくて良いんですが、やはり朝方のテント内はその影響もありさらに凍てつきテント内気温と外気温との差が夜に比べ小さくなっている気がします。朝が来ようが昼が来ようが太陽が雲間から多少出てこようが気温は常にマイナスなので一度凍ってしまうともう解凍できません。これは寒気が来る前も同じように悩んでおりました。気温が多少あったとしてもヨーロッパの冬はまともに日が出ることがほとんどないので結露で濡れたテントや寝袋を乾かすことができません。濡れた家、濡れた毛布に包まることが不快であるのは言うまでもありません。

frozen tent

frozen dewfall

一昨年の11月、“晩秋”のタジキスタン・パミール高原を走っていたときも同じような寒さでまともに眠れた日は少なかったですが、朝が来て日が出れば割りと温かくなりますし風もあり乾燥しているのでテントも乾かせだいたい毎日しっかりと装備の”リセット”ができていました。ただその風のおかげでパミールは大変なんですけども。それに対してこちらの湿った冬はリセットされることなく日ごとに装備品が弱っていく感じです。このように今僕が闘っているのは、痛寒い低気温よりも実はヨーロッパのどんよりして湿った冬の天候自体だったりします。もちろん辛いんですが、その中を少しずつ進んでいくのがやはり面白いわけで。

coldest night

食材については水分を含むものはみんな凍ります。野菜、ハム、チーズだいたいのものは凍っても切れるので調理すれば問題ないんですが、たとえば冷凍みかんとなったみかんは果たして切れるのかというのは試しませんでした。切れたとしてもそんなもの食べたくないですしね。パンはシャリシャリしておいしくなくなるし、ケチャップもシャーベットになっています。

cooking

お腹をすっきりさせたあとは水ではなく雪で後始末をしています。水よりも全然気持ちよいということがわかりました。共感してもらえる人が誰かいればうれしいです。そしてもう一つすごい発見をしてしまいました。外気温が-20度まで下がった日、コルゲート(歯磨き粉)が押し出せなくなりました。-16度でもすでにほぼ凍っているんですが、-18でもそして-19度でもそれをなんとか押し出すことはできていました。-20度だと自分の場合テント内は-15とか-16度になっているので、どうやらその辺がコルゲートが押し出せないほどに完全に凍ってしまう温度といってよさそうです。ちなみにコルゲートが凍ろうとも雪粉で十分磨けますので何の心配もありません。このおよそ誰の役にも立たない発見は機会を待っていずれ学会で発表したいと思っています。

-20
-20℃ /around 17:30 on 4th Jan near Radziunai village, Lithuania

colgate

まだまだ寒さ厳しい冬は続きますが、いろんな特質を持った寒さを経験することで、今年予定している北米やいつかたどり着く南米のパタゴニアまたはその他の地で厳しい冬を迎えることになっても物怖じせず対処できるようになりたいので貴重な体験の中にいると思います。パミールでは外気温を測る余裕がほとんどなかったけど、ヨーロッパではしっかりこうやって気温の記録をマメにつけていきます。現状の自分の装備でどれだけ耐えられるのか実体験をとおして数値とともに把握しておくことでその記録を今後に活かすことができるようになります。キャンプに正しい方法なんてものはないので自分で体験してより快適に感じる方法を見つけていけばいいわけなんですね。

white

road

ということで今年はいよいよアメリカ大陸に突入します。ヨーロッパが終わったらアラスカに飛ぶ予定です。次の年越しはアメリカ合衆国本土で迎えることになると思います。昨年イランでの新年挨拶で“アフリカ再上陸を目標に”と書きましたがアフリカ行きは中東や北アフリカの治安情勢から次第に気持ちが離れていき春先あたりからヨーロッパ後のアラスカ入りを考えるようになっていました。

そんな折、先月ウクライナのキエフの古着屋で防寒着を探していた際、店の壁に掛けられていたMcKINLEY(マッキンリー)と書かれたジャケットに出会いました。マッキンリーはアラスカに聳える北米最高峰の山です。知りませんでしたが昨年途中に名前がデナリに変わったそうですね。破れ汚れも特になくサイズも大きめで重ね着を考えるとちょうど欲しいサイズでした。なにか山神様に呼ばれているいるような気になってしまって自分の色ではなかったんですが購入しました。サラームアレイコムなタタール人のオーナーが少し割り引いてくれました。このマッキンリーくん改めデナリくんとともにアラスカに渡ります。お守りとして熊除けくらいにはなってくれるんじゃないかと期待しています。

baby face

今日はテント入口部のジッパーの滑りを良くし、ジッパーを開閉するたびに広がっていた穴も塞ぎました。先週は古いチューブで泥除けも作りました。ジョージアで出会ったヒロキさんに習ってから裁縫技術が格段に向上しました。ちなみに彼はとても天邪鬼な男です。

hole

fixed

どろよけ

今年は新年挨拶が長くなりました。つまらんことをたくさん書いて失礼しました。
出発準備が整いましたので南下を続けます。今年も宜しくお願いします。


@Bialystok・Poland
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2nd January 2016


Thanks to European unusual warmer winter, I managed to reach the northernmost point of my travel in this winter. However, intense cold air eventually has come to the area for last several days. Now it’s not easy to cycle on an icy road and find a place for nights in the blanket of snow. But I believe it’s still very much worth going on through white-colored roadside landscape, an amazing seasonal art that winter has brought. Soon I will take a first step of 2016 toward south. It could be a challenge to cross over the mountains which I would meet in Slovakia. Honestly I don’t have much confidence in surviving a long icy downhill with this temperature but I do try while looking forward to soaking in “Onsen” after the job. Let’s get on.

A happy new year to my friends from Lithuania, a republic along the Baltic Sea.
(photos from Lithuania and Belarus)

雪畑


2016年1月2日


暖冬に助けられ、今冬の走行北限地と決めていたバルト海沿岸のリトアニアまで無事辿り着けました。が、クリスマスが終わってからいよいよ寒気がやってきて現在は厳しい寒さが続いています。道が凍っているのでゆっくりしか進めないんですが、冬至を過ぎて日が少しずつ長くなってくれるのはプラス材料だし、この時期にしか拝めない雪景色もなかなかに素敵なもんです。これからポーランドに向けて南下に入ります。約1ヶ月後のスロヴァキアの山越えが踏ん張りどころとなりそうです。山向こうで待っている温泉に浸かるのを励みに走っていこうと思います。今年もよろしくお願いします。

あいすみち

りす

となかい

ゆきだる

てんと

ゆきはたけ

                              ※facebookより




あけましておめでとうございます。今回の年越しはリトアニアは杉原千畝さんの博物館があるカウナスという町のホステルで静かに迎えました。


前日の30日。気持ち昂ぶるわくわくスケートロードをとおって日没後に着いたのはUpninkaiという村。今冬走行最北地となったリトアニアの中でも自分が走った最北の道が導いてくれた村々の一つです。この村の学校裏に屋根下で雪のないコンクリスペースを発見。雪上に張るのは寒いんで前日ケルナヴェの博物館横に張らせてもらったときと同様に、誰かに許可をもらおうと正面入り口に行きベルを鳴らすも誰も出てくる気配がありません。年末で学校も休みだし、人目もないし大丈夫だろうと判断して朝から結露で凍ったままのテントを設営、雪を溶かして水をつくりインスタントラーメンをかきこんであったまってから即寝袋に潜りこみました。

あいす

みずづくり

2時間ほど経ってたんじゃないかと思いますが雪上を歩く足音が近付いてくるのにすぐ気付きました。テントから少し距離のあるところで足音が止み、しばらくしてすぐに足音は遠くに消えていきました。気持ちわるかったけど寒いんでそのままもごもごしていました。それからさらに1時間後赤い光を放つ車がテント横にやってきて黄色いライトが我が家に照らされました。

「Hello」

“Helloじゃねぇだろ何時だと思ってんだ”と思いましたが、誰がどういう意味でそう言っているのかはもちろん理解できていたので、もがきながら寝袋から上半身を出して入口から顔を出しました。9枚着込んでいるので寝袋から出るのもスムーズにはいきません。

青い目をした2人組の警察官と学校関係者と思われる2,3人の人がこっちを見下ろしていました。パスポートを見せ事情を説明し、朝が着たらすぐ出て行くからそれまでどうかここに居させてくださいそう頼みました。自分のロシア語と同じく彼らの英語は片言だったので用意してあったリトアニア語のカンニングペーパーを読みながら繰り返し許可を求めました。

「アシュ (I)・ノレチャウ (want to)・チャ(here)・パスィスタティテ(build)・パラピネ(tent)・ヴィエナイ(one)・ナクチアイ(night)」
(=一晩ここにテントを張らせてください)

パラピネ


「Go away」(ここから消えろ)


表情を一切変えずに警察官は言いました。
気温は-18度。時刻は22時をまわっていました。学校関係者と思われる人々からは汚いものを見るかのような目が向けられていました。

この宣告には狼狽しまいました。今まで世界中の人々に甘やかされてきたのでこのケースで(この寒さで)Noはないだろうと思っていたからです。それに昨日は快く許可を頂けて博物館横で僕は夜を明かしていたのです。


今からこの寒さと暗闇の中どこにいけっつうんですか。 
プラーシャム!(please) ・・・パシィスタティテ・パラピネ・・・! 


「Go away」


・・・パシィスタティテ・パラピネ・・・プラーシャム......
パスィスタティテ・パラピネのキャッチーな音はなんとも虚しく響きました。


「Go away 」


「…」



いよいよ寝袋から完全に身を出し、投げやりで荷物をまとめ始めました。
可笑しくなってきて笑ってしまいました。

「出てけってか今から。この寒さの中を。」

正気を失い、僕は自分が志村けん口調になっていることに気付いていませんでした。

「そういうなら出て行きますけどね、死にますよ俺 」
「人一人朝までここに置くことでいったい誰の迷惑になるっつうんですか!」

100%こちらに非があるのに、完全に逆切れしてしまいました。
それほど出て行くのが怖かったのだと思います。

しかしそう声を上げたところでうんともすんとも言ってくれません。
といいますか日本語で言っているので伝わるはずがありません。


震えながらの作業で小一時間ほどかかったでしょうか、パッキングを終えて
頼りないヘッドランプの明かりを頼りに暗闇の中に続く白銀世界へと消えていきました。

村の出口を過ぎて1kmほどのところですぐに道脇に入りました。この暗闇ではもう場所なんて大して関係ありませんでした。体が完全に冷え切っていたため身体が動くうちに一刻も早くどこでもいいからテントを設営する必要があったからです。するとパトカーが追いかけてくるのに気付きました。さっきの彼らが出てきました。一緒に写真をとらせてくれと言っています。何があったかわかりませんが空気は完全に変わっていました。さきほどと違って彼らの表情には温かみが滲み出ていました。

その後、村の消防署内に案内されロッカー室のソファで眠ることを許されました。室内の掛け時計が深夜1時くらいを指していたのを覚えています。また人様に迷惑をかけてしまいました。情けなさやら無力感からなのかまたは単に温かさを得た安心感からなのかジィーンとしてしまいました。

ソファ

翌日の大晦日もやはり日没時にカウナスの町に着きました。ホステルでいつものようにルームメイトに頭を下げて限りある大部屋の空きスペースをテント類や寝袋の乾かしもので独占します。シャワーを浴び洗面器で洗濯を済ませた後、食材を買いに出て共同キッチンで米を火にかけ野菜を切り始めました。他の宿泊客たちはカウントダウンの花火を見にスタッフ含め(おいおい)全員いなくなりました。

年が変わる10分前くらいから花火が上がりはじめ、キッチンでその音を聞きながら、年越し鶏ひき肉野菜炒めごはんを食べました。4人前くらい食べました。そんな特に普段となんら変わらない穏やかな年越しの瞬間でした。

午前2時くらいにベラルーシ人カップルのペテロくんとダリアちゃんがほろ酔いで帰ってきて、「ダヴァイ、ダヴァイ」(飲め飲め)とシャンパンを勧められ花火の写真を見ながら「ナスタロヴィア」(乾杯)しました。これで多少それっぽく新年の訪れの中に身を置けた気分になりました。二人に「ヂャークイ」(感謝)です。いちいちすみません。


何年か続けている“初詣”は2日に杉原千畝博物館を見学した帰りに近くのカトリック教会で簡単に済ませました。ナチスの迫害から逃れるためにユダヤ人が強いられた苦難の旅の軌跡に触れ、好奇心を満たすという己の欲求のための自分の旅はなんと生温くそして幸せなものであるかと考えていました。トヨタの新車が欲しいとぼやいていた館長のシモナスさんはカウナスで生まれ育ったユダヤ人で、お母さんは遠い異国ではなく迫害が行われていたたこの地である温かなリトアニア人家庭に匿われて戦火の中生き残ったのだそうです。日本人だけでなくたくさんのユダヤ人が毎年ここを訪れるためにカウナスにやってくるのだよと一緒に歩いた帰り道に話してくれました。

命のビザ


教会の扉を開けて外に出たとき新しい年の始まりに身がキュっと引き締まりました。



@Bialystok・Poland
2015年11月末

結果的に簡単に取れたんですが、取得情報が乏しくてなかなか遠回りさせられました。取れることを前提に予定を組みウクライナを東回りで回ってしまっていたので(進行方向に事実上ベラルーシに抜ける以外出口なし)なかなか思惑通りに取得の目処が立たず申請予定地のキエフが近付いてきて焦りました。直前でなんとかなって安堵安堵。


欲しい日数などに応じていろいろなやり方があるようなので、自分のケースを流れで書きます。

取得したビザ:入出国日指定の18日間滞在可能なシングルエントリービザ。

参考サイト
在日ベラルーシ共和国大使館ページ(日本での申請の案内)
ベラルーシ共和国外務省ページなど

●短期滞在ビザ(観光ビザ30日以内)の取得の流れ

当初は訪問ビザでの入国を計画。知人から聞いていたベラルーシの首都ミンスクにある自転車関連のNGOにインビテーションレターを依頼、何度かメールを送っても返事来ず。

訪問ビザを諦め、なんだか費用がかかりそうだけど観光ビザの取得に方向転換。
某現地旅行会社Pに申請に必要なバウチャー(旅行会社発行の申請書)を依頼すると25USD+56USD(コピー不可とのことで原本取り寄せのexpress郵送代)+17USD×滞在日数との見積もり。ちなみに通常郵送の場合は一ヶ月かかるとの回答(ミンスクからキエフまで歩いたってそんなにゃかかりますまい、とは口には出さないでおきました)。

最終的に、2週間滞在可能なビザのバウチャーを1週間分の宿泊予約でつくるとの話(25+56+17×7=200USD)をもらうけど、やはり高すぎるため断念。

観光ビザもいったん諦め、今回リトアニアまで行く計画をしていたため、インビテーションやバウチャー不要の2日間のトランジットビザ(無料)を取得して電車かバスでベラルーシを通過してリトアニアに行くことを検討。バスは調べてないけど電車の場合リトアニアの首都ヴィリニュスまで5000円以上かかること、そして何よりやはり自転車旅を中断するのは避けたく気持ちを改める。

調べるうちに、10日以内の観光ビザならばバウチャー不要で全泊分の宿泊予約確認書(コピーでOK)のみで申請可能だと知りその方向で宿探し開始。やたらと対応の親切な首都ミンスクにあるHostel vivaに行き着く。このホステルが提携している旅行会社がビザサポートをやっていることをスタッフに聞き改めて尋ねてみるとなんと宿泊予約1泊分のみでも通常の観光ビザ用のバウチャー発行可能とのこと。しかも原本ではなくコピーでOKとのことで他社で請求されたバカ高い送料も不要。旅行会社により全く言うことが異なり戸惑うも、彼らのいうことを信じてサポートを依頼。

●ビザサポート依頼
ビザサポートをしてもらった旅行会社:Vnesh intourist

バウチャー発行のために旅行会社からパスポート情報とベラルーシへの入出国日、勤務先情報、申請予定地(キエフ)などを尋ねられた。費用をオンラインでカード支払い。

ビザサポート代20+ミンスクでの宿泊予約(1泊分)8+手数料1=29ユーロ
支払い後、メールにバウチャー及び旅行会社情報が記入されたビザ申請書が添付されて送られてくるのでプリントアウト。


●大使館でのビザ申請
必要なもの
・申請書
・写真1枚
・パスポート
・ビザサポート書類(バウチャー)
・ビザ代(日本人は無料)
・滞在中の医療保険契約(大使館前の保険店で加入)の証書 
※18日間だと196グリブナ(約7.5ユーロ)だった。
※海外旅行保険などベラルーシ国内でも適用される日本の医療保険に加入していればそれで良いと外務省ページに書いてあるが、キエフでトランジットビザを申請した人々の情報にそれらとは別に必要とあったため自分で確認せずそのまま申請前に現地で加入した。申請場所により条件異なる可能性有り。

在キエフ・ベラルーシ共和国大使館ページ(開館時間の記載、地図もあり)

※このページから先に進むと英語変換できるが、このページの英語化は何故かできないと思われる。申請受付時間は右半分で上から月(Понедельник)・火(Вторник)・木(Четверг)・金(Пятница) 。水・土・日は休み。

領事の判断は5営業日以内、エクスプレスの場合追加料金で2営業日以内と記載されているのでそうなんだろうと思っていたけど、なんとその場でビザを発行してもらえた。

前例は確認できても、法的に自転車での観光をしていいのかが定かではなく不安だったんですが移動手段を書く欄には正直に“Bicyle”と書きました。”自転車?“と職員のおばちゃんに言われてギクっとなりましたが、「寒かろうに、気ぃつけなさいよ」と返ってきたのは優しい励ましの一言。また旅程を細かく聞かれるものと思い、大体の走るルートを予め決めて必要と思われる18日という時間を自分なりに算出したのですが、申請書にはウクライナ→ベラルーシ→リトアニアと書いただけで提出時も何も尋ねられませんでした。また入国時に今日はどこに泊まるのかと聞かれ、メモってあった最初の大きな町(自分の場合ゴメリの町)のホステルの名前を伝えました。ひとまず滞在登録をしたかったので実際にも入国初日そこに宿泊しましたが、宿泊しない場合でも滞在登録のある国なのでキャンプとか言うのは当然やめておいたほうがよいです(ホステルは大きな町で5ユーロから探せます)。


●滞在登録について(以下、海外安全ホームページよりそのまま抜粋)
 ベラルーシ入国後,外国人はベラルーシの国内法により,5労働日以内(月~土)にその地の登録機関(国際移民局/オギーム)に滞在登録を行うよう定められております。滞在登録の手続きは,ホテルに宿泊する場合には,通常,ホテル側が代行してくれます。個人宅等に滞在する場合には,ベラ ルーシ国内の身元保証人が個別に手続きを行うこととなっています。また,登録を行った滞在場所以外に滞在する場合には,登録時にその旨を伝えれば再登録の 必要はありません。ベラルーシの警察は,外国人に対し滞在登録が済んでいるかを検査する権限を有しています。年間を通じて90日以上ベラルーシに滞在する 場合は,内務省から短期居住許可を取得する必要があります。

自分のケースですが、17泊中ホステルに滞在した3箇所(計5泊分)のレギで問題なく出国できました。また他にお誘い頂いたお宅に2箇所泊まらせてもらっていますが、滞在登録はしていません。この国でも制度が形骸化されているのかもしれないし、ただ単に自転車旅行者は登録に空白があっても甘く見てもらえただけかもしれません。滞在登録はホテルなりホステルで無料で簡単にできます(出国カード裏面に記載される)。


●使った国境
入国:ウクライナのチェルニヒヴとゴメリ間にある国境。特に問題なし。
出国:リトアニアのヴィリニュスへ抜ける国境。ビザ期限日の日没時に到着した国境がなんと外国人越境不可。案内された50km離れた国境(24hオープン)まで雨の真っ暗道を走るはめに。ベラルーシ時間23:00になんとか越境。長いクリスマスの夜でした。

ヴィリニュスの真東に3つ国境が固まっており(上からKotlovka, Losha, Kamienny Loh)、今回越境したのはKotlovka。外国人越境不可と言われたのがLosha、またKamienny Lohは外国人通過可能だが自転車での越境は不可との説明を受けました。


以上



@Kaunas・Lithuania
仮眠してから出発します、新年挨拶は次回に
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hiromu jimbo

Author:hiromu jimbo
I'm in a challenge to cycle around the world
since May 2009,started from Istanbul,Turkey.
Motivation for this journey just comes from big curiosity about the world.I'd like to see and feel the ordinary life of the people living in defferent cultures.

2009年5月末イスタンブールより
自転車世界一周挑戦中です。
世界で起きていることへの大きな好奇心がペダルを回しています。その土地で生きる人の日常生活を見ていけたらと思います。

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*special thanks to sekiji-san

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68,781km (May09-May14)
40,018km (July2014- )

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