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25th April 2015

The mountain road along a long oil pipeline which runs an indirect course without going through Armenia from Baku to Turkey where they ship it to the western countries have brought me to the first Christian country since my restart from India. Now it is rare to see women covering their head with a scarf and people sometimes invite me not to a cup of chai any more but a glass of wine they made themselves. Getting over long winter, it’s now fully in spring. Greeting from Georgia, the land of wine.   

church


2015年4月25日

天気があまり優れませんが、すっかり春となりました。
ジョージアに入っております。
日本での呼び名がグルジアからジョージアに変更された日に入国するという
めでたい越境でなかなか記憶に残る国になりそうです。
再出発後初めてのキリスト教国。
髪を覆う女性を見ることはもうとても少なくなりました。
イスラム教徒が多い国が続いたため
“サラーム”という挨拶言葉がなかなか抜けません。
この国ではこれまでのようにチャイではなくワインに誘われます。

カフカス



パイプラインに沿って

2015年3月下旬~4月下旬

アゼルバイジャンを挟んだイランからここまでのルートは変化に富んでいた。
この辺りは狭いエリアでかなり生活スタイルが変わるのでその明瞭な違いが面白い。

chai

アゼルバイジャンに入るとお湯で割って飲むチャイにレモンが添えられてくるようになった。イランと同じく角砂糖を口に入れチャイで溶かすように飲む。また髪を布で覆っていない女性をよく見かけるようになった。これは3ヶ月イランにいた後だとかなりの違和感。バクーで始めてバスに乗ったときには、イランと違って性別で座る場所が分かれていないことにもやはり違和感を感じてしまった。アゼルバイジャンもイスラム教徒主体の国だけど、イランと違ってイスラム法に基づいた統治が行われているわけではないので、髪を布で覆っている女性も見られるけどそれは法に従ってのことではなく個人の自由な選択でいうことになる。アルコールも多くの人が“隠れず”とも飲んでいる。

レモン

ちゃいはね

100年ぶりのオイルブームで栄えるアゼルバイジャンの首都バクー。一世紀前の第一次オイルブーム時に建てられたヨーロピアンスタイルの建物が旧市街の城壁の周りに建ち並び、東から来ると一気に西欧にワープしてしまったかのような気分にさせられる。きれいな町で中心部だけかもしれないけどゴミがほとんど落ちていないのには感心した。

まち

バクー

カスピ海沿岸には無数の油井櫓が立ち並びバクーの町中心部からごく近いところでも、もくもくと原油を汲み上げている。初めて原油というものを見たけどドロドロしていて黒かった。重たい黒さだった。その利権を巡っての争い、不透明な富の分配、環境への影響というような問題を抱える産油国をいくつか走ってきたため外見的な色とは別に、やはり黒いイメージを持ってしまうのだけれど、原油というのが僕らの生活に欠かせないものであることは間違いないこと。

油井櫓

バクーではインドで出会ったウニさんから元同僚のアゼル人女性Sさんの紹介をうけており、その彼女の友人のEさんファミリーのお宅にお世話になっていた。物価が高いバクーでは自分の予算で泊まれる場所を探すのは難しく、大変有難かった。

ウニさんは18年前にアゼルバイジャンのMSFのオフィスで、医師として活動に従事していた。そう以前本人から聞いたとき僕は何も訊ねなかったけど、当時オフィスで財務の仕事をしていたSさんにオフィスの場所があった場所を聞いたとき何も訊ねなかった自分の鈍感さに気付いた。オフィスがあったのは西部のベルデ(Barda)という町。そして18年前といえばナゴルノ・カラバフ戦争の停戦直後だ。ベルデは現在アルメニアの実効支配が及んでいるラインから20kmほどのところにある。ウニさんは戦争が生み出した何十万人ともいわれる国内難民を対象とした医療活動をしていたのだ。20年以上経った今も帰還の許されない難民問題は深刻な社会問題となっている。

らら

アゼルバイジャンの経済成長を支えているのは西側諸国への石油、天然ガスの輸出。ロシアを経由させず、アゼルバイジャン産のオイルを西側諸国へと運ぶための石油パイプラインが2006年に建設され操業を開始している。このパイプラインは最短距離であるアルメニアを経由せず、ぐるっとジョージアを通ってトルコへと至り地中海沿いのジェイハンという町まで続いている。このことがアルメニア、アゼルバイジャン間にある溝の深さを如実に物語る。

げんゆ

いつものように強風が吹きつけているアブシェロン半島。ハンドルを何度も取られながら、バクーを後にした。雨宿りを繰り返しながら長閑な山道を通って少しずつ”グルジア”に近づいていく。シェキ手前の村でカラバフから逃げてきたという家族が戦争の話をしてくれたけど、なんせ僕には言葉が理解できない。ちゃんと理解できないのはもどかしくてたまらないのだけれど、それで十分でもある。話の内容はわからなくとも、話を聞けたその事実だけで僕は彼らの間にある歴史についてより考えるようになるから。

やさい

小麦畑

野原

カフカス

雪をかぶった大カフカス山麓の大地は緑で輝き、長い眠りから覚めた小さな花々が
寄り添いながら空に向かって優しく伸びをして雨の止む間に日光浴をしている。
数十km西方には自分の走行路に並行するように地中に走るパイプライン。
そしてその中を、カスピ海産の原油が今、ゆっくりと流れている。

花


@Yerevan・Armenia
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2015年3月

イラン(テヘラン)におけるアゼルバイジャンビザ取得の記録

当初タブリーズの領事館での取得を試みたけど、
不要と聞いていた日本大使館からのレターを要求される。
在テヘラン日本大使館に問い合わせると、
レターの事前申請はHPより可能だが、受け取りは実際にテヘランまで来る必要があるとのことで、“それならば”と同時にテヘランでビザ申請することに。
ちなみにタブリーズで申請した場合受け取りは5日後
(たぶん5営業日後の意味と思う)

●申請場所:アゼルバイジャン大使館領事部
最近移転したようで場所注意。
メトロのTajrish駅から乗合いミニバスでKashoonak行きでEbstehaj StとKhodaverdi Stの交差点で降ろしてもらい(10,000リアル)、13th Stまで歩いて上がったら左折して約100mくらい進んだ右手にある。
またはTajrish駅からローカルバスでNiavaran Parkで降りて(5,000リアル)、北へ上っていくと良い。

●必要書類
・日本大使館発行のレター
・写真1枚
・パスポートIDページのコピー1部
・パスポート原本
・申請書はアゼリ語(ロシア語も?)での記入のみで代書依頼
※目の前にいる領事部担当職員に代書費用100,000リアル(約3USD)を払う

●申請料:無料

●内容:発行日から2ヶ月有効の30日シングル

●申請と受取:月曜のみ受付。10時開館。余裕を持って9時頃到着、ボードに貼ってある申請待ちリストに名前を記入し待つ。すでに7~8名の名前が。開館から30~40分でオフィスの中に呼ばれ申請。同日の17時に受取り。

ちなみにここのアゼルバイジャン大使館は問い合わせに電話してもまったく出てくれない。在テヘラン日本大使館の副領事曰く「彼らは未だかつて電話に出た試しがない」とのこと。 結局、ネットで見つけた昨年取得した人の情報“申請は月曜のみで受け取りは同日”だけを頼りに月曜朝に大使館に向かう。申請受付日が変わってないかかなり不安だったけれど、“月曜のみ申請受付の同日受け取り”で一安心。


ちなみにコーカサス地方の出入国のルールだけど、
アゼルバイジャン⇔アルメニア間、アルメニア⇔トルコ間の越境は不可。
アルメニアのスタンプがあるとアゼルバイジャン入国に差し支えのある可能性があり、
カラバフのスタンプがあった場合はアゼル入国不可。
また我々外国人は、これらの国からロシアへの越境、またロシアからの入国もできないのでこれも注意。


@Yerevan・Armenia

4/29 16:01 Time in Japan

“If Is there any connection with you in your country please provide us tents. Yes we heard in news lots aids, money ,donation on the way . But we don’t know when it will be in our village? Even we have money but there no tents in Kathmandu. Some of our friends went to India for find tents . Situation is terrible . Thousands of house destroyed.Thousands People are in ground. Now rainy season begin. We just need tents”
.
“日本の人々に呼びかけてテントを送ってください。援助、資金、寄付が世界中で呼びかけられこちらに向けられていることはニュースで知っています。でもそれはいつ私たちの村に届くのでしょうか? テントを買うお金があっても、カトマンズには肝心のテントがありません。友人たちはインドにテントを探しに出て行きました。事態は深刻を極めています。何千の家が倒壊し、何千もの人々がその中で埋もれています。雨季が始まりました。テントが必要なのです”



一昨日走行中、ネパール人の友人(サイクリスト)からテント支援のSOSのメールが入りました。

周りの人々にテント支援の協力を呼びかける前に、まずどこにそれを送ってもらえば良いか誰がその輸送を行えるのかを考えていましたが、
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20150426/k10010061861000.html
JICA (国際協力機構) を通して両政府の間で輸送方法を調整中だという上記の記事を見つけました。

その輸送がいつになりそうなのか?
またテント寄付を日本の友人たちに呼びかけるにあたり、
JICAのどこに送ってもらえばいいのか?
またテント第一にテントが集まっても輸送は可能なのか(輸送キャパの問題)?

事情に詳しい援助関係の方に問い合わせたところ、

テントの必要性はかなり高いのだが、緊急援助用で政府から送られるテントに関しても相当手続きに時間がかかり、また滑走路が一本しかない国際空港のため多くのレスキュー隊や緊急貨物が足止めをくらっているのが現状。
通常JICAもテントの備蓄などがあるため、広くは物資の募集はしないだろうとの回答を頂きました。
(もちろん今後状況は変わるかもしれません)

支援するテントはあるが輸送の問題が解決されない以上、
どうにもできない現状があるようです。
インドのデリーやカルカタから陸路でという方法が思いつきますが、いずれにしてもそれを可能にするのに政府間、支援団体間の調整の時間的問題があるのは同じだと思います。


この2日間、彼のメッセージを自分のメールボックスにのみ閉まったままの状態だったのがとても辛かったです。彼のヘルプに早急に対応できない自分の無力を感じるばかりです。


遠くからできる被災者の方々への援助として
信頼できる募金サイトとして紹介されているものを以下に貼り付けます。
テントだけでなく、食べ物が足りていません。ご協力頂きたい。

http://www.sarthakshiksha.org/ja/earthquake-donation/
http://www.unicef.or.jp/



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hiromu jimbo

Author:hiromu jimbo
I'm in a challenge to cycle around the world
since May 2009,started from Istanbul,Turkey.
Motivation for this journey just comes from big curiosity about the world.I'd like to see and feel the ordinary life of the people living in defferent cultures.

2009年5月末イスタンブールより
自転車世界一周挑戦中です。
世界で起きていることへの大きな好奇心がペダルを回しています。その土地で生きる人の日常生活を見ていけたらと思います。

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*special thanks to sekiji-san

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68,781km (May09-May14)
42,336km (July2014- )

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