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26th May, 2014

The next day I returned home I did renewal application of my passport as there were only a few blank pages left. After a twelve-days wait, I finally got a new one today. I wonder where I’m going to be when it’s filled with stamps again. With this new passport I can go to the next step to apply for visas for India and Pakistan.


5月26日

申請日から12日(8営業日)経った今日、ついに新パスポートが出来上がった。
このパスポート受領をもってようやくインドビザ、パキスタンビザ取得に向け動き出せる。

査証欄が残り少なくなっていたので、帰国した翌日に切替申請を済ませた。
あらかじめ査証欄に余裕を持って行きたいと思って今回も増補を一緒に申請。

10年用の申請にかかる手数料が16,000円。
増補の申請にかかる手数料が2,500円。

外に出て、“日本国旅券”が持てることの有り難さを認識した。
こんな信用度の高い旅券は世界広しど、なかなかあるもんじゃない。
感謝、感謝。

真っ白な査証欄、新しい写真、新しいパスポート番号。
こいつがスタンプで埋めつくされるとき、自分は果たしてどこにいるのか。

心機一転。
2ヵ月後走り出す。

旧パスポート



@Sagamihara・Japan
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14th May 2014

In Beijing on my transit from Delhi, I had overslept while waiting for the boarding time and unbelievably missed my flight.. But the day before yesterday, I could come back home one day late thanks to the generosity of the airline company which had kindly replaced a seat for me in the next morning’s flight with free of charge. At the airport in Tokyo, where my family had warmheartedly waited for my arrival for two days straight, I awkwardly greeted my two nieces, nearly 4 years and 2 years old, who were afraid of the stranger in front of them, for the first time. “Okaerinashai” ,means “welcome back” in Japanese, from the little girls made their uncle feel so relieved and happy. After going back home I and my father and my older brother went to “Onsen” and soaked in the hot spring baths, which was one of the happiest moment of my life. I wanted to share some photos of Onsen as it’s one of typical Japanese culture but unfortunately photo taking was prohibited there.. So now once I’m back home.


2014日5月14日


デリーからの乗り継ぎ地となった中国は北京国際空港。
羽田へのフライトまでは6時間の待ち時間。
搭乗ゲートE33前のベンチの隅っこに腰を下ろしていたオジサンは
睡魔に誘われ危険な時間帯にうとうとし始めた。

搭乗予定時刻の16:40まであと1時間強。
“ちょっとだけ”
と閉じた眼は、再び開かれたとき、
信じられない光景をその瞳に映し出していた。

誰もいない。周りに座っていた搭乗を待つ人々がいない。
ガラス越しにデーンととまっていた飛行機も見当たらない。
意識が完全に戻った瞬間、
ハッとして時計を確認すると18時を過ぎていた。

喉が一気に渇くのを感じた。

広い空港を走って走って、電車にのって、エレベーターに乗って
国際線出発カウンターに辿り着き、興奮しながら事情を説明する。
翌朝の便に振り替えることができると言われたけど、
320ドルの請求に頭が真っ白になった。
マネージャーを呼んでもらい、ダメもとでお願いしてみる。
するとこちらの一方的な凡ミスに温情判決が下され、なんとこれが無料に。

羽田に迎えに来てくれていた家族に公衆電話から国際電話をかける。
こんなにも恥ずかしく申し訳ない電話は今後もうしたくない。

心身ともにくたびれてベンチで朝を待った。

翌日、羽田空港国際線到着フロア。
家族が連日で到着を待っていてくれていた。
初めて出会った2人の姪にぎこちなく挨拶する。我ながら下手くそな挨拶だった。

”おかえりなしゃい”

もうすぐ4歳と2歳になる彼女らが
“バーバ”となった母を楯に隠れるようにしながらそういってくれた言葉は
安らぎそのものだった。

“ただいま”

異国をふらついていた人一倍ドジな自転車オジサンは、
ひとまずお家に帰ってくることができた。


飛行機

パスポート


※出発前または道中お世話になった方々、旅中日本から励ましてくれた皆さんに自転車に乗って(財政的問題から笑)挨拶しに伺いたい気持ちなんですが、2ヵ月後の再出発までの時間的な問題があるのと、第一まだ終わったわけではないので、無礼ではありますがひとまずこの場での一時帰国報告並びにご挨拶とさせて頂きたく思います。神奈川県相模原の実家にいるので、近隣や都内にいる方は時間があれば是非声かけてください。俺飲めないけど、飲みましょう!みんな昔と違って忙しいだろうし、元気でいてくれればそれでいいんですが。ちなみに日本の携帯番号を持ちたいと思っていますが現状まだありません。


@Sagamihara・Japan


3rd~8th March 2014

Having crossed the state border, I finally entered Rajasthan. By the time I arrived at a town called Ramsar, the landscape had turned into that of desert without notice and soon I found myself in the sensitive area around borders with Pakistan. It seemed there were some different organizations under the Indian army deployed to maintain security around the area. The soldiers of BSF(Border Security Force)at a checkpoint told me I had no difficulty in cycling through the area unless not going west beyond the roads I had explained to them as my planned route (Ramsar→Harsani→Miyajlar). But In Ramsar, a man out of uniform, who had a military ID but not the one for BSF, said “Get out soon! ”

How could I have known whether I needed a permit or not without a unified view in the Indian army inside? I was really confused but it was clear that which remark I wanted to follow. As far as I knew, the area was not particularly dangerous because the territorial issue wasn’t there at the time unlike in Kashmir that had much tension, so I decided to go along my original plan. In addition, even if something no good happened I had a good Sikh friend in BSF (!), with whom I had met on the road a few days before when he was in trouble with a flat tire of his motorbike. At the moment I inflated the tire for him using my pump so that he could reach a repair shop 2km away.

Afterwards I tried to keep my distance from towns in order to reduce the possibility to be involved with tiresome problem while leaving there soon after taking a short rest and spending nights in the field far from there. In the result it was very peaceful cycling without being pointed out anything from anyone and any problem, as getting even some chai invitation from kind inhabitants of desert.

During the Thar desert stays, I became 33 years old in the silence. That night I cooked myself “Maggi” (instant noodle), which had been my regular item for dinner when camping in India, in the wild kitchen in the desert. Unfortunately it had no greens as I couldn’t find any vegetables on the way that memorial day. I thought this was just what I would call "Non- Veg"! with spice of tranquility.

I turned off an unsightly light of my torch after making a note in my diary. A faint light from the crescent moon, insufficient to write something, modestly lighted up my isolated house on the sand.



2014年3月3日~8日


ラージャスタンへの州境を越える前日の道中。
スイガオン(Suigaon)という場所を過ぎたところで、
青いターバンを巻いた大きな頭をした大男が
バイクを止めて道脇に立っているのに気付いた。

長い髪を覆ってターバンを巻いたでかい頭はスィク教徒の印。

友人のバイクを運転中にパンクを起こしてしまったらしい。
勤務時間に遅れてしまうと困っていた。

「2km先までいけば修理場があってなんとかなるんだが‥」

南アフリカでペアランしたメグさんからお借りしている空気入れを使って、
応急処置として空気を入れてあげた。これがまたえらい感謝のされようだった。

進行方向が一緒なので、「では後で」と言って一旦彼を見送る。
大男を乗せたバイクは苦しそうに動き出し、
やがて修理場のある場所目指して走っていった。
走り出してすぐタイヤはヘニャヘニャになっていた。

2km先で再び彼に合流し、青空の下メカニックがパンク修理をしている間
2人で話していた。

彼の名はアキンデールさん。
パンジャブ州にある現在唯一開いているパキスタンとの国境で勤務する
国境警備隊(BSF :Border Security Force)の隊員らしい。
同い年と聞いたときはちょっとびっくり。

アキンデールさん

このとき彼は短期出張中でスイガオン160km西にある国境で勤務にあたっていた。
おそらく四駆車でしかいけない塩砂漠道の果てにある国境ではないかと思われる。
2ヵ月後に住まいのあるパンジャブのアムリトサルに戻るといっていた。

パンジャブの国境付近で、パキスタン軍に撃たれてふくれた左足のスネを
自分に見せながら“奴らはクソだ”と毒づいた。

チューブにあいていた2つの穴は無事に塞がれ、連絡先を交換して彼と別れた。

翌日、州境を越えラージャスタンへ入る。
相変わらずラバリ族の家畜追いがいて、でかい鼻ピアスをした女性がたくさんいる。

ラバリ

チョウタン(Chauhtan)に着く頃にはあたりがいつの間にか砂漠帯のそれになっていた。
いよいよ姿を現したタール砂漠にワクワクを隠せない。

道1

骨2

そのワクワクに水をさすように、ラムサール(Ramsar)への道の途中の検問で
国境警備隊の隊員に「パーミッション(通行許可書)は持っているのか?」と訊ねられた。

ジャイサルメールの約40km西方以降はパーミットがいるとは承知していたけど、
今いる彼方南方のエリアまでパーミットがいるなんて情報は持っていなかった。
素直に「そんなものは持っていない」と答える。
自分が何をしているか、そして予定しているこの後のルート
(ラムサール:Ramsar→ハルサニ:Harsani→ミヤジラール:Miyajlar)
を彼に伝えると、それより西に行かなければOKだといわれた。ホッと一息。

日没前ラムサールに到着。
売店の前で人々に囲まれながら休憩していると、
英語を流暢に話す男が現れて、最初は普通に親しげに話してきたのだけど、
突然、「外国人がこのエリアに入るにはパーミットが必要だ」と言ってきた。
彼は私服だったけど軍人らしく身分証明証もちゃんと持っていた。

国境警備隊には問題ないと言われたと伝えるも、聞く耳持たずといった感じで、
今すぐバスに自転車乗っけて50km先のバルメール(Barmer)に立ち去れと言われた。
なんでもインド軍には国境警備隊の他にもエリアを警備する複数の組織があるらしく、彼は別の組織に属す軍人さんのようだ。
“国境警備隊は関係ない我々の見解はNOだ”というわけだ。
幹線道路が走るバルメール上に彼らの考える“ライン”があるらしい。

軍としての統一した見解がないようなことをどうして僕が知っていようか。
本当こういうの面倒臭い。
「荷物や自転車が心配なので、バスではなく自転車で行く」と伝えとりあえずその場から逃れた。どっちの見解に従うか、この場合当然自分に都合の良いほうだ。

このエリアは国境付近ということで警備が厳重にされているけど、
特別危険なエリアではないはず。
ここは北部のカシミールなどと違って領土問題があるところではないから。

以降、面倒を避けるため町での休憩は短くし、夜も道脇の砂の上で過ごした。

砂キャンプ1

砂キャンプ2

何か逃げるような感じで嫌だったけど、
従う必要があるのかよくわからないたった一人に言われた言葉で
引き返すほど僕は賢くない。
それに事になるようなことがあれば、
僕にはアキンデールさんという国境警備隊員の頼もしい”友人”がいた。
これがなかなか頼もしかった。

結局、誰にも何も咎められることなく、
逆に砂漠の民にチャイのお誘いを受けながらのピースフルなサイクリングとなった。

ターバンおっちゃん2人

砂漠の村

人々と

ペアラン

デイツ

道3

少年たち

点在する村々でインディラ・ガンジー運河からの十分きれいな水が手に入った。
ジャイサルメール経由でパイプラインを通じてこのエリアの人々に運ばれているそうだ。

水

人に見られないように道を外れ、自転車を押して砂漠の奥に入っていく。
そこには誰からも干渉されることのない自分だけの空間が広がっている。
この世で一番贅沢な一晩の隠れ家。

砂丘キャンプ

牛や山羊たちが首に吊るした銅鈴の音がたまに遠くに聞こえる。
他に聞こえるのは自分が鼻をすする音だけ。しかしこれが結構やかましい。
グジャラートからラージャスタンにかけての半砂漠帯は、
日中と朝晩の気温差が激しく常に鼻が垂れていた。

湯を沸かしてすっかりインド野宿定番メニューとなった
Maggi(インスタントラーメン)を鍋に入れる。
Maggi好きなのかフンコロガシみたいな砂漠の虫が
うじゃうじゃ砂から出てきて、デコピンで追い払いながら麺をほぐす。
野菜が手に入らなかったので残念ながら具はない。
これぞまさにノン・ベジ。

ノンベジ

フンコロガシ

33の誕生日は乾燥したタール砂漠でこうして一人でご馳走を食べながら迎えた。

シーンとした中で漠然とした数年先のことを考え、
漠然とした数ヵ月先のことを考えたあと、やはり漠然とした明日のことを考える。
明日自分が何時に起き、どこに寝るかももちろん自由。今更ながら贅沢な話だ。
ただ自由な分、あらゆる面での自己管理が必要になる。
そういう生活をしている。

“34年目の自分に期待”
そう締めくくって日記帳を閉じ、うっとうしいライトを消す。

日記を書くには頼りない三日月の淡い月明かりが、砂の上の隠れ家に加減良く残った。


たーる



@Bodhgaya・India
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hiromu jimbo

Author:hiromu jimbo
I'm in a challenge to cycle around the world
since May 2009,started from Istanbul,Turkey.
Motivation for this journey just comes from big curiosity about the world.I'd like to see and feel the ordinary life of the people living in defferent cultures.

2009年5月末イスタンブールより
自転車世界一周挑戦中です。
世界で起きていることへの大きな好奇心がペダルを回しています。その土地で生きる人の日常生活を見ていけたらと思います。

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welcome
my journey
*special thanks to sekiji-san

distance:
68,781km (May09-May14)
36,938km (July2014- )

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