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2020年3月11日~4月20日


チリ南部チロエ島のケジョン郊外のキャンプ場で、テント生活を始めてから早1ヶ月近くが経とうとしています。3月18日にチリ全土で国境が閉まり、5日後の23日には走行中だった同島が封鎖され先に進むことができなくなりました。他の南米の国々の国境もほぼ同じようなタイミングで閉鎖されました。3月末からキャンプ場のオーナーの所有する広い土地の中でボランティアの肉体労働を始めると、ありがたいことに無料で滞在させてもらえるようになりました。外部の人との接触を極力避ける隔離生活の中に身を置きながらも、日々緑の中で体を動かせていることに感謝しながら、島が再び開かれる日を待っている状況です。

人々から「” 中国 ”からウイルス持ってきてねえだろうなぁ」と冗談半分でいわれ始めるようになったのは、2月中旬くらいからではなかったかと思います。日本を含めアジア、ヨーロッパでたいへんなことになっていると承知していても、まさか自分がいる南米にも影響が出てこようなどとは微塵も思っていませんでした。ちなみに僕のいるチリで初めてのコロナウイルス感染者が確認されたのは3月3日、初の死者は3月22日に出ています。チリ国内の感染者の数は現在約10500人(4月20日現在)ですでに日本とほぼ同じ人数まで増えています。

プエルト・モンの町を発ったのは3月11日。以来、ニュースから離れたわずか一週間で、自分を取り巻く状況がガラっと変わってしまいました。同日日没前にはパルクア港から10分ほどフェリーに乗って対岸に見えるチャカオ港へと渡り、南米で5番目の大きさを持つチロエ島へと入島しました。

北海道南部とほぼ同緯度に位置するこの島には、マツやポプラの他、アラヤンやルマと呼ばれるこの地域固有の広葉樹が生え、羊や牛の放牧風景が続きます。しかし、そんな長閑な景色とは対照的に、島の道は自転車乗り泣かせの凄まじいアップダウンの連続です。雨で洗われたブラックベリーの実をつまみながら、汗と心の涙を拭いつつ丘を越えていきます。

独特の建築様式の木造教会群で知られるチロエ島には、159棟の教会が現存しておりそのうちの16棟が世界遺産に登録されています。タイトル付きの大教会よりも、通りすがりの小村に佇む小教会に趣を感じ、自分のお気に入りを見つけることに楽しみを見出していました。

インターネットで再び世界とつながったのが19日。チリの国境が閉鎖された翌日のことでした。その3日前の16日に商店のおばさんからアルゼンチンの国境が閉められたことと、チリの国境もすぐ閉まるようだということ、またチロエ島においても、島最大の町であるカストロ停泊中のフェリーの乗客(ツーリスト)の一人がウイルスに感染し、乗客全員が外に出ることができない状況にあることなどを聞いており、翌17日にはスーパーで買い占めする人々の姿を目の当たりにしていました。事がもうすぐそこまで来ていることを認識し、落ち着いて情報収集できる場所に身を置かなければと、19日カストロに到着すると宿を探しました。みな外部との接触に神経質になり始めており、宿泊施設を探すのもこの顔では簡単にはいきません。

受け入れてもらえたホステルでは、前日は20人以上いたという旅行者も、その日は自分一人でした。カストロに限っては全てのビジネスはこの日から営業は17時までと決められたらしく、食材を買うことができず、晩はスタッフ用の食材を分けて頂いて夕食を作りました。インターネットにつなぐとコロナウイルスに関する膨大な量の情報が津波のように押しかけてきました。不安を煽られ、何も知らないでいたほうがよかったのではなかろうかなどと思ってしまいました。

翌朝、オーナーからチロエ島も3日後に封鎖されることになったと知らされました。すぐ民間のフェリー会社に連絡すると、カストロや島南部のケジョンから運行している島から出るフェリーは政府からの通達があるまですべて欠航が決まったと知らされました。つまり、すでにこの時点で、島から出るには22日夜までにチャカオ港まで戻るしかないことがわかりました。

落ち着けと自分に言い聞かせながら頭を整理することに努めました。バスは使いたくありませんでしたし、幹線を走って戻れば2日でチャカオに戻れる距離だったのでまだ封鎖される前に出島は可能でしたが、この期に及んでもチロエ島を満足するまで走ることなく出ることに大きな抵抗がある自分がおり、また出島したところで国境が閉まっていてはどちらにせよすぐ先に進めなくなることを考え、島に残るという決断を固めました。

その後の6日間、なんだかすっかり様子が変わってしまった島内を走り、3月25日に自分にとっての同島の最終目的地であるケジョンに到着しました。道中、22日からは夜10時から翌朝5時までの外出がチリ全土で禁止となりました。医療スタッフによる路上検温を受けたり、また東洋人顔だからか物を売ってもらえないことも2度ありました。小さな商店に入れば必ずといっていいほど店員の自分を見る目は懐疑心に満ちており、これはすごく気持ちが下がります。買い物時などの人との何気ない会話で元気をもらえることは多いのですが、偏見から入られてしまってはなかなか良い雰囲気は生まれません。

当初の予定ではこのケジョンの港から週3便あるフェリーで海を渡り、チリ本土に戻って南下を続ける考えでした。町手前では、町民からいたって紳士的に、病院で検査を受けるように促され、町に入ってからは公立病院に先ず向かいました。簡単な診察を受けた後、自己防衛のため、初見でウイルス感染の兆候は見られないとの診察結果が書かれた医師からの証明書を書いてもらいました。

宿泊施設は営業停止を決め閉まっているところが多く、営業しているように見えても中心部にあるホステルやキャンプ場には「家族を守るため」とことごとく断られ、郊外までいってもやはり断られ、もう森の中にでも隠れるしかないかと思い始めていたとき最後の当てであった6軒目のキャンプ場で受け入れてもらえなんとか安全に滞在できる場所を得ました。「物を売ってもらえないんだったら、俺が代わりに買いに行ってやるから、他にも何かあればいってこい、なんの心配もいらん」オーナーがかけてくれた言葉にどれだけ救われたかわかりません。ちなみに不要不急の外出禁止令化のアルゼンチンでは森の中でテントで''隔離生活''を送っていた欧米人旅行者が逮捕されているようです。僕には彼らなりに考えたうえでの最善の自己隔離策だったのではないかと思われるのですが、やはり法に触れるかどうかが地元警察には先ず大事になってくるようです。この日は雨季のチロエ島には珍しく朝から良く晴れた日で、コルコバド湾を挟んで対岸には雪を被ったアンデスの山々がきれいに見えていました。

暑さや寒さ、雨季や悪路に補給の効かない辺境など、決して容易とはいえない気候環境の中に身を置くことになったときも、なんとか工夫し対応する努力をしてこれまで走り続けてきたつもりですが、政治問題、紛争、今回のような感染症といったものが相手ではどうにもできません。感染症は人のことを考えなくてはいけないので、国境が開いても、旅するという行為が肯定される世の中に戻ってくれないと今までのように自由に動き回るということはしばらく難しいのかもしれません。それがこの問題の複雑なところであり、先を読むことを難しくさせています。

チリ経済を支える重要産業であるサケやムール貝の養殖で栄える町なので、こんな状況でもそれなりに町中心部にいけば経済活動が行われていますが、4月9日~12日のイースター(セマナサンタ)は4日間外出禁止令が出されなんとも静かなお祭り期間でした。翌日13日からは外出時のマスク着用がチリ全土で義務化されました。一緒に働いている方から頂いた2枚のマスクを外出用に大事にテントの中に保管しています。

背丈のあるポプラの黄葉が風に舞い、日に日に地面が落葉で黄色くそして枯葉で茶色くなっていくにつれ、徐々に迫る厳しい冬の到来が頭をよぎります。長年想い続けてきたパタゴニアの地、真冬になろうが、走らせてもらえるならばそんなに幸せなことはありません。滞在期限(6月初旬)が来るまでは、幸運にも得られたこの環境で、受け入れてくれた人たちのために体を動かしながら、事の成り行きを見守らせてもらいたいと思います。



@Quellón/Chiloé

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2019年12月12日~2020年1月7日

ruta del desiero




世界でもっとも乾燥している土地だといわれるペルー南部からチリ北部に渡って広がるアタカマ砂漠の土砂の海を、太平洋から吹き付ける向かい風に吹かれながらなんとか泳ぎ切りまして、年越しはチリ北部のサンペドロ・デ・アタカマというところで迎えました。

san pedro de atacama

Volcán Licancabur

ちょうどほぼ10年前に縦断したサハラ砂漠(大西洋沿岸ルート) と景観やら補給ポイント間の距離やら似ているところがあり、走行中、当時のことがしばしば思い出されました。

en la costa del sur Peru

ふいに砂漠の中に、町から運んできた水を用いて裏の畑でとれたメロンやスイカの直売所が現れたり、空中に網を張ってつかんだ朝霧を水滴に変え、その水で不毛の大地にオリーブ畑を創り出している過程が見られたりと、水さえ確保できれば本当に砂漠は緑化されるのだと、魔法のような水の力を改めて認識しました。

melon crece en el desierto

しかし、やはり風景の変化には極めて乏しく、アンデスの山々からの水の恵みを受け、川沿いに発達したオアシスの町がたまに現れますが、サハラや鳥取砂丘のようにラクダたちが現れて遊んでくれるわけでもなければ、ペルーアンデスのように敵意むき出しで闘いを挑んでくる犬たちがいるわけでもないので、果てしなく続くんじゃないかと思わされる荒涼とした風景の中で自分と向き合う瞑想の時間になります。

Arica, la ciudad en el desierto

oasis

oasis, campo del arroz

アタカマ砂漠を泳ぎ始める前、この砂漠を抜ける道を数年前に車で旅した友人から、「町間はなんの生命もいない砂漠の中の砂漠だ」なんて脅かされていました。恐る恐る泳ぎ始めると、そんな砂漠の中にポツンと存在する家々の住人から「ソロ(キツネ)が棲んどるんよ」と言われ、砂漠の中を進む楽しみをひとつもらえたような思いでした。何を食べ、どこで乾きを潤して、ソロはこの砂漠で生きているのだろうと思いながら、地平線の彼方に目を遣ってソロ探しが始まりました。

distancia hasta proximo grifo

desierto de atacama

明くる日も明くる日も、そのまた明くる日もそしてその次もその次の次の日も、ソロは現れないまま、遮るものがない砂漠に突き刺さる太陽光と、午後から日没にかけて吹き付ける強風によって僕の体は徐々に干からびていきました。でも、トカゲ1匹にハエ10~20匹の生命は自分の目でこの乾燥しきった土砂の世界に確認しました。ソロはこのトカゲなどを食べて生きているのかもしれません。こんな環境の中においても食物連鎖が起きているのかと、細い糸のように頼りなくもなんともたくましいその連鎖を想像してみると感動させられてさえしまいます。

agua en el tanque

ソロがどこでどのようにして喉の乾きを潤しているのかはわかりませんが、町間には水道は通っていないので、僕に関しては貯水タンクの水を分けて頂いて生き延びているわけなんですが、およそ100km前後に一度訪れる、そういった水・食糧の補給ポイントである売店や食堂がクリスマス休暇で閉まっているというのはいったいどういうことなんでしょうか。途方に暮れていましたが、トラックを運転してやってきたサンタのお兄さんがしっかり魔法水を届けにきてくれました。正しい表現に直すと、お願いして分けて頂いたわけなんですが、風を防げる廃墟の中で、潤いのクリスマスの夜を過ごすことができたのはサンタさんのおかげです。

feliz novidad

dond pasé la noche de novidad con bendicion de agua que me legaro un conductor del camion

今は遠い昔のように思われますが、11月初旬までは、前から後ろから湧き出てきてはこちらに向かって突進してくるペルー犬と対峙しながらアンデス山脈にこだわって走ってきました。越えども越えども現れる山々を重たい荷物を運んで越えていくのは、もちろん楽なものではないのですが、それでもその道を行くのはその苦労に見合うだけの風景が迎えてくれるからに他なりません。

vista del Alpamayo y las otras montañas de la cordiella blanca

un pueblo en los andes

しかし、雨季にケツを叩かれ、ついには追いつかれ、どんよりとした曇り空の下その苦労の対価が簡単には得られなくなってしまった日々を過ごす中で、不本意ながらアンデスに一度お別れする決意をしました。

un poblito en los andes

先住民文化が色濃く残るペルー南部、ボリビアのアンデスは、南米を代表する見どころの多いエリアだと聞きます。そういった文化自然両面において世界有数の景観の中に身を置きながら、実際に目に映るのはそれらを覆い隠す重たい雲々というのでは、あまりに残念過ぎると思ったからです。

punta portachuelo

加えて、10月下旬に行われたボリビアの大統領選挙は、開票に不正があった疑いで国内で大規模な抗議デモが発生。再選を果たした約14年間政権を握ってきた同国初の先住民大統領として知られるエボ・モラレス大統領は、辞任に追い込まれ国外亡命。反モラレス派、モラレス支持派のデモ活動は、ボリビアの都市で暴動に発展しました。11月中旬、僕がペルーの首都リマを発つ頃にはボリビアへの国境は閉められているという話も聞きました。

僕が国境を越える頃には状況は落ち着いているだろうとは思いつつも、ウユニ塩湖を自転車が塩水に侵されずに走れる時期に間に合うかも不確かでしたし、どのみち今回はアンデスの山々に”呼ばれていない''と判断し、ボリビアには向かいませんでした。今年もう一度時期を改めて、乾季のアンデスをしっかり走りたいと思っています。4000mを簡単に越えてしまうような土地を自転車で走ることができる場所は、世界でも本当に限られており、それらの場所を走ることができるのはとても贅沢なことなのです。

vicuñas

flamencos

llamas

年明けからは、リャマやアルパカ、ビクーニャ、羊、ヤギ、ロバにフラミンゴなどの動物たちに出会いながら再びアンデスの高原を越えて、アルゼンチンに入国しました。翌々日、銅鉱山で知られる町間にある山越えの途中、標高およそ4300m地点の高原砂漠に、探索をすでに打ち切っていたお探し物が、忘れたころに姿を現わしました。

ingreso a Argentina

草や低木が生えるこの地には、上記の家畜や野生動物のほかにフンコロガシのような虫やトカゲもたくさん棲んでいます。道横を行く細く緩やかな流れにはおたまじゃくしも暮らしていました。この地でならば、何不自由なく生きているソロの生活を僕は容易に想像することができます。乾燥してはいても、ここには魔法の水がしかと存在しているのです。

vicuñas

Alpacas

大半の自転車旅行者はペルーからボリビアに向かって内陸へと進むと思うので、なかなかすぐには現れないような気がしますが、僕が果たせなかった ''アタカマ砂漠でのソロ探し'' は、次にこの土砂の世界を走ることになってしまった方に任せたいと思います。

明けました2020年は、自身30代最後の1年です。大陸最南端到達と昨年断念したペルー南部及びボリビアアンデス走行にかける年となります。ソロ探しに夢中で忘れるところでしたが、僕が南米にやってきたのは、砂漠で探し物をするためではなく、アンデスの山々を走るためなのです。なんとか40を前にタフな世界最長山脈走行に区切りをつけることができそうです。

abra del acay アカイ峠

家賃が払えず、ラクダもキツネも棲むのをしぶしぶ諦めたといわれる水に恵まれた東京砂漠で、オリンピックが開催されている頃には自分はどこを走っているのだろうか、そんなことを考えております。

パタゴニアが冬になりきる前までに、大陸最南端まで走り切りたいと思います。今年もよろしくお願いします。

zorro





@Cafayate・Argentina
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hiromu jimbo

Author:hiromu jimbo
I'm in a challenge to cycle around the world
since May 2009,started from Istanbul,Turkey.
Motivation for this journey just comes from big curiosity about the world.I'd like to see and feel the ordinary life of the people living in defferent cultures.

2009年5月末イスタンブールより
自転車世界一周挑戦中です。
世界で起きていることへの大きな好奇心がペダルを回しています。その土地で生きる人の日常生活を見ていけたらと思います。

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