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HOME   »  エルサルバドル&ホンジュラス (El Salvador & Honduras)
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あけましておめでとうございます。2018年は大晦日まで走って、ニカラグアのレオンで走り納めとなりました。背伸びしても打ち上げ花火が見えない宿の中庭で、外から聞こえる歓声と花火の音を聞いて、静かに新年を迎えました。

宿のオーナーは、エルサルバドルに住むレンカと言われる先住民の血を引いているご夫妻。先日までレンカの地に走るコーヒー街道を走っていたこともあり、滞在中は、お二人の故郷での出来事などを話したりしながら、奥さんの焼いてくれたエルサルバドル郷土料理のププサをご馳走になったりしていました。

1981年、エルサルバドルで内戦が始まって間もなく、16歳のとき北東部にあるモラサン県の故郷を仲間と一緒に離れる決断をしたご主人。無一文でヒッチハイクなどをして途中途中で働きながら、3ヵ月かけてアメリカ国境まで辿り着いたそうです。テキサスの親戚のところで身を置いたあと、難民申請を受理され、カナダのエドモントンへ。以来35年間、故郷から遠く離れた北の地で暮らしてきました。奥さんも同じようにしてエドモントンに辿り着き、すでに知り合いだった同郷の二人は、数年後ともに暮らし始めます。ちなみに当時はまだアメリカ国境を抜ける(不法入国)のはとても容易だったとのこと。現在では、エドモントンでもププサを食べられるところがあるそうですが、昔はずっとププサ含め、故郷の味を強く恋しく思っていたそうです。

近年、お二人はエドモントンからエルサルバドルへ帰郷。大きな町でビジネスを始めるにあたり、犯罪が多いという祖国を再び離れ、近隣のニカラグアでの生活を昨年から始められました。

guerrilla en el bosque de morazan




12月14日~12月26日

ホンジュラス南西部、エルサルバドルの北東部を抜けていく山間部は両脇にコーヒーの木が続くコーヒー街道となっており、ちょうどそれに重なるように先住民レンカの人々が国境に跨って暮らしている。クリスマス、そして来たる新年を控えた今、街道を進んでいると、ところどころに花火を売る露店が現れた。ふいに小鳥が小走りで道を横切って、枯れたとうもろこし畑の中に入っていった。カリフォルニアぶりに拝めたロードランナーの姿。今回も「ミッミッ」とは言っていなかった。そんなはずはないとは思うけれど、ひょっとしたらそうは鳴かない鳥なのかもしれない。

la tierra de café

la ruta de las flores

la ruta del café

fuegos artificiales

街道は標高およそ500~2000mの間で上り下りを繰り返していく。過ぎていく村々の家には、どの庭にもコーヒーの木が見られ、収穫期(11月~2月にかけて)只中の今、木々にはたくさんの赤い実が生っていた。家の畑での収穫の他、この収穫期、人々はフィンカと呼ばれる大農園に働きに出掛け、現金を稼ぐ。収穫後、実から果肉を取り除いた種は天日で干される。十分乾燥させてから脱殻、選別、袋詰めされたのち、アメリカをはじめとして日本にも輸出されているそう。なお、キューバと中米諸国には2ヶ月ほどの収穫期のズレがあるようで、キューバ島東端のグアンタナモ州では8月末にはすでに収穫作業が始まっていた。

las frutas del café

lacosecha del café

secar semillas

secar semillas

松の木々がコーヒー畑に優しい陰を提供する風景が見られるようになると、暑さも多少和らぎ、過ごしやすくなる。ホンジュラスのコパン県からレンピラ県、そしてインティブカ県へと入り、コーヒーの収穫作業を終え、家に帰る家族と簡単な会話を交わしながら、彼らが歩くのと同じペースで山道をよじのぼっていく。標高1800m前後のヤマランギラという町の数キロ手前で日没を迎え、そのまま彼らの自宅前でテントを張らせてもらえた。中米は私有地意識が強く、どの土地も漏れなくしっかりバラ線で囲られているため、こうやって許可を得ないでは野営するのは難しい。

camino a la frontera por El Salvador

amiga

風がびゅんびゅん吹き荒れる日で非常に寒く、体を拭くだけにしてすぐテントに避難。調理を諦め、パンと干しブドウといちごジャムの簡単な夕食をテント内で摂った。翌朝6時、雪も降るという高地の気温は2度。イングリスとダネリアがあたたかいコーヒーを持ってテントにきてくれた。体があたたまる。そして、このコーヒーのまたうまいこと。なんたってすぐ目の前の庭にあるコーヒーの木々から採れたものだ。

gracias por café mañanero

親戚8世帯、60人が暮らす家族集落。レンカの言葉はもう使われていないのか、家族の間で使われる言葉もスペイン語のみのようだ。アルミ缶収集業者が町からやってきて、子どもたちは空き缶の入ったナイロン袋をもって道路に走っていった。重さによるけれど、普通サイズの缶だったらおよそ5本で1レンピラ(約5円) が業者から支払われる。もうすぐクリスマスだからか、子供たちはキャンディやクッキーの入ったお土産セット袋を業者のおじさんにもらってうれしそうだった。

un buen tiempo

una Lempira

Ingris y daneria

ヤマランギラの食堂でバレアダとコーヒーの朝食。コーヒーがうまいと朝食全体も別次元のものになる。うまいコーヒーと朝食、雨季が行ったあとの晴天の空といい、のどかな風景といい、街道で出会う人々の柔らかさといい、幸せだなぁと朝食を済ませ、この町を出たところでそんなことを思ったりした。

baleados

maíz marchitado

sunbrelo kabutta occhan

jogo de mayacuya en copán

cafe cubano

熱帯フルーツジュースはもちろん、キューバでも中米でも、こうしてカップ一杯一杯のコーヒーが本当に楽しみだった。カップを口に運ぶ度、その土地土地で出会ってきたコーヒーを栽培し収穫して生きる人々の姿が思い起こされ、それがさらに味に深みを与えてくれている気がする。つまり、僕は自動的に他の人よりも何割増しかで美味しいコーヒーが飲めてしまう幸せ者ということになる。これはありがたい。

cuba

en cuba

guatemala

en El Salvador

recogerando

仕事や新しい生活を求めて、中米諸国から北に向かう人たちは、地元にこれだけうまいコーヒーがあるのだから、僕が味噌汁やら納豆やらお雑煮やらその他すべての和の風味を恋しく思うように、土地のコーヒーのことを恋しがるのだろう。そしてそういうものを求めて、また生まれ育った土地に戻ってくるのだろう。

aviso en la migración

pupuseria

pupusa

salva cola

bandera hondurasena

マルカラの町からはエルサルバドルのモラサン県、ペルキンへの国境越え。コーヒー収穫の季節労働者たちを大勢乗せたバンなどが行き来し、埃を巻き上げていく。2000m近くまで再びあがり、汗ふきだしながらのぼってのぼって、エルサルバドル再入国。国境からは遠くに富士山のような形をした火山がきれいに見えた。

bus

la vista de frontera

la vista del volcan

翌日、ペルキンの町に着き、目的の革命博物館を訪ね、1980~1992年まで続いたエルサルバドル内戦の写真パネルなどを見る。女性兵士とか子供兵士とか米軍による空爆のこと、米軍による内戦への仲介への反対などをうたったポスターが展示されていた。主にスペイン語の説明のみのため、理解できたことは多くはなかったけれど、目で見れたものだけでも十分な収穫だった。博物館の敷地内でも、傾斜が急な町の坂道でも、やはりコーヒーが天日に干されていた。

iglesia de perquín

museo de la revolucion en Perquín

museo de la revolucion en Perquín

women soldier

mujeres soldados

stop the bombing

ぺルキンを発つとずっと急な下り。加えて、舗装道といっても無数の穴、スピード殺し用の突起物がある道のため、集中力が必要だし、ブレーキは常に全快で握っているような状態。中米の山は斜度が急で、このパターンがとても多く、景色を楽しんでいる余裕がないのは、毎回残念に感じるところ。特にこの後走るコリントからリスリケへと至る道は、生命の危機を感じるほど急で長い下り道で下り終わったときにはもうぐったりだった。

secar las semilla del café

デリシアス・デ・コンセプションというの町の外れにある運動場の脇に許可をとってテントを張らせてもらえた。今夜は、世間では家族友人が集い、恋人たちがともに聖なる夜を祝うといわれるクリスマスイヴの夜。花火の音があちこちで聞こえる。具沢山ラーメンを作っていると、暗がりの中、隣の家の家族のお姉さんがきて、鶏肉のタマレが3つのったお皿を持ってきてくれた。確か、ナヴァホ保留地を走っていた前年のクリスマスにも路上でタマレをくれたナヴァホファミリーがいた。油断していると盗まれ、警戒していると盗まれるどころか頂きものまでしてしまって、警戒していた自分が恥ずかしく思われ、アツい気持ちにさせられてしまう。前の晩見上げた満月は少し欠け、それでもなお丸い月が運動場を照らしていた。できれば照らさずに、放っておいて頂きたい夜ではあった。

tamales

1992年まで、このモラサンの地は当時の政府軍による虐殺やらゲリラ戦で銃声が飛び交っていた場所。革命博物館を見たあとだけに、戦地モラサンで聞く花火の音は生々しく、はっきりいって銃声のようにしかきこえなかった。戦争が終わってからもう26年、今のモラサンは世界中のどこよりも平和な場所にさえ思える長閑なところだ。内戦を知らない子供たちのはしゃぐ笑い声があちこちに聞こえる。内戦を体験した世代には、この花火の音はどんなふうに聞こえているのだろう。当時の体験を思い起こされて、精神的におかしくなったりしないんだろうかと余計な心配をしてしまう。

el soldado

隣家のアンドレスさん家族は、翌朝もタマレと菓子パン、そしてやはりコーヒーをもってきてくれた。アンドレスさんと、お兄さんのアンセンションさんが来て話す。2人とも内戦で反政府のFMLNの兵士としてゲリラ戦を戦った。ジャングルの中に掘った防空壕に身を隠しながら、戦火を生き延びた。アンセンションさんは爆撃で右足と右後腰部に重症を負い、以来、杖がないと歩けなくなった。昨日博物館をみてきたと伝えると、兵士時代の写真や空爆を受けて病院で治療を受けている写真など持ってきてくれ、熱心に語ってくれた。また、家族を虐殺され、今も心のリハビリを受けている彼らの友人の女性もやってきて話をしてくれた。大筋だけしか理解できない今の自分の語学力が、ただただ歯痒かった。

la historia preciosa

photos de la guerra

guerra de guerrilla

モラサンに残り、戦いに参戦することを選んだ人々がいれば、この後出会うご夫婦のように、身の安全のため故郷を離れ、新たな土地に移る選択をした人々もいる。当地で生きる人々にとって人生の分岐点となった内戦を経て、何が変わったのか、今の国についてどう感じているのか。中途半端な理解で、そういう疑問を切り出すのは憚られ、内に秘めたままその場にいた。

lo que ha cambiado

Política de El Salvador

アンセンションさんに、昨夜の花火はまるで戦中にいるみたいな音でしたがと伝えると、「そうそうあんな感じ、まるで戦争時そのものだよ」と軽くいって笑いながら、自ら打ち上げ花火に火をつけ、子供たちを喜ばせていた。

les gustó mi casa

アンドレスさんに家に来るように呼ばれ、ついていくと、庭で手作りハンモックに腰かけて、コーヒーを飲んでいたおばあちゃんが迎えてくれた。ハンモックの周りにみんなが集まり会話が始まる。おばあちゃんは、ナイロン製のひもで編んだマタタスと呼ばれる手提げ袋を取ってくると、手提げ部を長く結び直し、僕の肩にかけてくれた。

una familia muy amable de morazan

食堂で勘定を払おうと思えば、「隣に座っていた人がもうあなたの分まで払っていったから不要よ」とランチをおごってもらえ、何か買えばもう一個おまけがきて、横に止まった車からは水やケーキを旅の友として手渡され、各地ではコーヒーのお誘い。挙句の果てにサンタクロースまで僕のところにやってきた。すべて書いていたらきりがないので大部分省略しているけれど、街道走行中に人々から受けた厚意で、エルサルバドルとホンジュラスは、僕の中ですっかり、中米におけるイランという位置付けになっている。

con el dueño de una cafeteria

un joven me dio polvo del café

güisquil

invitación

レンカの人々が住む山間部を抜けていく旅。僕が走った道には、犯罪の匂いなどひとつもなく、漂っているものといえば、コーヒーの香ばしい香りだけだった。

amigo y amigas

en el pueblo marcala

来年のクリスマスは、モラサンタク婆ちゃんにもらった白い袋に、愛と梅干しキャンディと鳩サブレーを詰めて、チリかアルゼンチンのちびっこたちにプレゼントしたいと思っています。

con morazanta




2019年はいよいよ南米に入ります。10周年となる節目の年でもあります。
平成は終わるそうですが、時代が変わろうともこちらのやることは残念ながらひとつも変わりません。
これまでどおりゆっくり走りたい道を進んでいくだけです。じわじわとアンデスの山々を越えていこうと思います。

今年もよろしくお願いします。


@Altagracia・La Isla de Ometepe, Nicaragua

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hiromu jimbo

Author:hiromu jimbo
I'm in a challenge to cycle around the world
since May 2009,started from Istanbul,Turkey.
Motivation for this journey just comes from big curiosity about the world.I'd like to see and feel the ordinary life of the people living in defferent cultures.

2009年5月末イスタンブールより
自転車世界一周挑戦中です。
世界で起きていることへの大きな好奇心がペダルを回しています。その土地で生きる人の日常生活を見ていけたらと思います。

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*special thanks to sekiji-san

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68,781km (May09-May14)
64,476km (July2014- )

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