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2018.10.22
太陽光で色あせ、汗で白く重くなったシャツを着ながら蒸し暑いユカタン半島を走っています。暑い場所、寒い場所、これまでいろいろと走ってきたつもりですが、暑いものは暑いです。雨季なので、夜は屋根のあるところを探して許可をとってテントを張らせてもらうスタイルで主にやっています。
半島に点在する、ジャングルの中にたたずむ小さなマヤの遺跡を訪れれば、マヤの人々はもういませんが、イグアナが迎えてくれます。村々では今でもマヤ語が飛び交い、家の中でも外でも色とりどりのハンモックが吊るされてあって、人々が気持ちよさそうにその上に身をあづけている姿が。そして庭ではハンモック作り。なんでも、ユカタン半島はハンモック発祥の地といわれているそうです。
“自分もハンモックに横たわって木陰でのんびり”という思いを断って、キューバへ渡るべくここカンクン目指して走ってきました。現在、ビーチに行くでもなく渡航準備で忙しくしています。アフリカとの繋がりが見られるカリブの島、ずっと楽しみにしてきました。ハリケーンが来ないことを願ってカリブ海を渡ります。
7月24日
JACC近況報告文より

2018年7月13日~7月25日
ユカタン半島の付け根部周辺のジャングルにはホエザルが棲んでいる。自分の半島入りを歓迎してくれているのか、その逆であるのか、はたまた別の意味があるのか、口を大きく開けて大きな声で「ホーホー、ホーホー」とやかましく外に向かって吠えている。
一昨年のユーコンでの越冬中に出会ったメキシコ人の友人がこのホエザルの鳴きマネをしていたのを思い出し、彼女の鳴きまねのレベルが非常に高かったことが判明。約1年半の時間を経てようやく心から笑うことができ、たとえ彼らに歓迎されていなかったとしても、とても満足した気持ちで、僕は半島入口の番人たちを見上げながら過ぎていった。

実物を見ずに声だけ聞いていたら、この音が一頭の猿から発せられているものだとはとても信じがたいと思う。地元の人曰く、この怪獣のような鳴き声とは裏腹に、危険はなく、木の上で寝て過ごすため、悪さをしに町にやってくることもないのだそうだ。

路上には動物の死体がたくさん。蒸し暑さで強烈な臭いがするため、呼吸を止めずには横を通過することもできない。内陸の道を通るとこれが無くなり、道が細く木々が日陰をたくさん作り出してくれているため涼しくて快適だった。昼間でも蚊なりジャングル特有の小さなハエが刺してくるけど、漕いでる限りはそう問題はない。


カンペチェ州からユカタン州に入り、ジャングルに佇むSayil, Xlapak,Labnáといった小さなマヤ遺跡を見て回った。これらの遺跡の良いところはなんといっても規模が小さく簡単に回れ、静かなところ。誰もいないか、いても同じ時間帯に敷地内にいるのは2~3人くらい。受付職員も暇すぎてたまらんという心情をハンモックの上で見事に表現していた。



かつての主であったマヤの人々が遠い昔に去ったあとも、今もたくさんのイグアナたちが遺跡と化した建物の周りに棲んで番をしている。番人であるにもかかわらず、気づかれるとサササッと素早く逃げてしまうのだけれど、Xlapakで会ったでかいやつは多少心を開いてくれ、やがて地中に作った巣穴に入るまで観察させてくれた。遺跡どうこうよりも、イグアナの巣が見れたことで、僕の中では、ここは ’’非常に素晴らしい遺跡であった” として、以後刻まれていくこととなる。



ユカタン半島には、お隣のチアパス州とも、またグアテマラやその隣国とも異なるマヤの人々が住んでおり、半島内の都市、観光地を除けば、村々はほぼマヤで占められている。村々ではマヤ語(ユカテコ語) が飛び交っているけれど、近隣のマヤとは言葉を解さず、スペイン語を使わないと互いに理解できないのだそうだ。

マヤといっても、同様の文化、言語を共有しているという意味のグループ分けで、混血が進んだ今、顔立ちがそのように見えても、血で言えば、”マヤの血の濃い混血のメスティーソ”というのが正確であると思われ、純血はもういないとも聞いたし、寄らなかったけれどValladolidの町だかその近郊に少数の純血のマヤが暮らしているとも聞いた。

Timul村で、ちびっこたちにSaborineという自家製チューチューアイスをつくって売っている売店を教えてもらい、ココナッツの実で作られた甘氷をチューチューしながら、おじさんにマヤ語の挨拶を教えてもらった。このおじさんが11人子供がいるというので驚いたら、むしろ驚いてることに少し驚かれた。アフリカみたいだ。主に農耕牧畜、狩猟漁労で生きる彼らは、こどもをたくさん持ち働き手を増やすことは当然のことだと考える。子ども全員の名前をおじさんに訊ねてみると、7,8番目でじゃっかんの間が空いた。やっぱりアフリカみたいだ。


普段村ではマヤ語が話され、学校でのみスペイン語及び英語を習う。仕事優先などの家庭の事情で学校に行かない子もおり、スペイン語を流暢に話すこどもは多くなさそうだ。英語を勉強してアメリカに出稼ぎにいきたいけれど、スペイン語も特別流暢に話せるわけではない田舎暮らしのマヤには言葉の壁は高いというようなことをおじさんはボソボソと話してくれた。


Oxkutzcabというどうやって読むのかわからない町の市場は、白地に花柄の入った清涼感のあるユカタンのウィピルを着た女性がたくさんいて見ているだけで涼しさをくれた。半島の市場に並ぶ種々の熱帯果物の中で、ピンク色したピタヤ(ドラゴンフルーツ)がいつも僕の目を引く。これを見ると学生時代、バックパックを背負って訪れた初海外旅の地ベトナムのいろんなにおいのする市場の画がぼんやりと出てくる。今ここでピタヤが入ったチェーを食べることができたならば、どんなにか増して涼しい気持ちになれただろう。


道横にはアボガドやオレンジ、みかんの木々などが見られた。メキシコ南部に育つアボガドはでかい。よく知られる小ぶりで味が濃厚なミチョアカン産のものと比べると味がやや薄めだけれど、水分を多く含んだこのアボガドもとてもうまい。何でもその土地で採れるものには新鮮さというスパイスが加わるわけで、愛と空腹を除けば、それは一番効き目のあるスパイスであるといえるのかもしれない。あと1ヵ月もすればオレンジの収穫期に入るそうで、気の早いママたちが長い木の棒でつんつん実を狙って突ついていた。



ハンモック発祥の地といわれているらしいユカタン半島。特に半島東部では、多くの家庭の家の中に外にハンモックが吊るしてあり、庭には両側に立てた2本の木柱や鉄柱に糸を張って鮮やかなハンモックを縫っている人々の姿が見られる。スコールが降り出し、たまらず手持ちのシートを広げて自転車に被せ下に潜って止むのを待つ。雨が上がりすかっと晴れたSan Pedro村で休憩していると、少年が森から取ってきたライチのようなHuayaという小さな実がいくつかついた枝をくれた。指で摘んで実を皮から押し出すように口にいれると、果肉から程よい甘さと瑞々しさが広がった。雨季のユカタンの森を連想させるような味だった。Dios bootiik(ディオスボーティック)とお礼を言うと、素敵な笑顔までおまけしてくれた。薪を三輪車で村へ運ぶ人、畑仕事する人。雨のあとは涼しくなるのでみんな働き始める。



キンタナ・ロー州にあるコバという町にも立派なマヤ遺跡がある。よく知られているようで観光客がたくさん。ワニがいるという前の大池で少年たちがミミズを針につけて糸を垂らして魚を釣っている。傾斜の急なピラミッドを強烈な太陽光を浴びて汗だくになりながら上ると、周り一面のジャングルが見渡せた。けれども人が多すぎて、どうしようもなく雰囲気に欠けた。遊園地のようにしか思えずすぐ降りてしまった。この時間帯イグアナも一匹も見なかった。


遺跡というものは、過去に意識をぶっとばして当時の様子をイメージするためにも、やはり静かなときに訪れたい。イグアナの存在をひしひしと感じながら見れた遺跡が印象深く心に残るというのもそう考えると当然であるような気もした。
この遺跡から20kmほど北に向かったところにある小さな村で、おじさんが声をかけて来て話していた。「この先は騒がしくなる。静かで平和なこの村に今夜は泊っていきなさい」親切なアドバイスに従い、コンクリートでできた広場横にテントを張らせてもらうことにした。メキシコ本土東端の町カンクンはもう目と鼻の先。確かに、森はこの先すぐ深くなくなっていくのだろう。

プンタラグナという自然保護区の入口にこの村は位置しており、保護区内の森とその中にある小さな湖を村人たちが管理しているみたいだ。おじさんはたぶんその責任者の一人かなんかであると思われ、「もう入口は閉まっているけど、勝手に通っていいから湖で汗を流してきたらいい」と、汗でベトベトした体をした自分にはこの上ない言葉をくれた。

500mほどの森の小径を抜けると湖が現れ、マヤっ子たちがワイワイ水遊びしていた。その中に控え目に飛び込んでお邪魔させてもらい汗を洗い流した。帰り道、木々が揺れる音がして見上げてみると、クモザルが見事に木間を跳んで渡る瞬間だった。蚊に刺されながらしばらくクモザル一家を眺める。自分の期待とは裏腹に、一家全員一度も滑ることなく、巧みに木枝を伝ってその長い手を木の実に伸ばし、おいしそうに食べていた。森の番人たちを夢中にさせていたのは、少年がくれたHuayaの実だった。



どうもおひさしぶりです。キューバからメキシコのカンクンにもどり早いもので一ヵ月も経ってしまいました。
2ヵ月かけて走り回ったキューバでは、短い期間に感情的になる出来事がたくさん起こりました。探していたアフリカをそこかしこに感じることができ、最高にウキウキわくわく、そしてイライラの時間を過ごすことができました。喜怒哀楽な旅を提供してくれたキューバが大好きになってしまって、島を離れた今、島で過ごした時間が恋しくてなりません。
キューバ序盤で、テントで寝ていたときに盗難に遭いました。出発から9年半ずっと使い続けてきた4つのバッグ、鍋、ラップトップ含め、たくさんの走行データの入ったHDD他さまざまなものを自分の不注意で失いました。これまで、直して直して直して使ってきたバッグを失ったと認識したときは、旅を終えるその日までずっと自分と一緒に在るものだと思っていましたので、ショックで呼吸ができませんでした。警察の後、人々に情報協力を得ようとテレビ局ラジオ局にも行ってみましたが、内容を政府が管理する社会主義の前では個人の声は届きません。幸い自転車も、お金もパスポートもありましたので、現地で手に入るもので(まぁ何も手に入らないんですが笑)、やりくりしながらなんとか旅を続けることができました。
キューバと違い、モノに溢れるカンクンに戻った機械音痴のおじさんは、まず電器店最安値のラップトップをおそるおそる購入。設定やら使い慣れるのに時間を費やしながら、できなかった写真整理をようやくできるようになりました。その後は、トラックの幌のような生地を購入し、一週間かけて新しい自転車バッグ作りで引きこもります。そしてその他の装備の見直しも滞在中少しずつ行ってきました。バックアップをしていなかった2年半分のデータを失いましたが、日本の実家から今まで送ってある分だけのバッグアップデータを取り寄せ、受け取ってからはそれらのデータの整理や、終わることのない失ったデータの復旧作業などをしていました。そうこうしているうちに、一ヵ月などあっという間に過ぎてしまったわけです。
派手に盗まれた分、準備を整えるには時間がかかります。いまだにビーチにも行っていませんが、キリがないので、美しいビーチで知られるカンクンを出発したいと思います。
ビーチには行っていませんが、元気でやっています。
@Cancún・México
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2018.06.27
2018年6月20~27日

メキシコ南部、熱帯雨林帯に属するチアパス州は、マヤの人々が多く住む地域です。山村では精巧な刺繍入りの美しい伝統衣装を纏った女性が歩いていて思わず目を奪われてしまいます。長い雨季の中でも雨が最も多い時期らしく、近い空から毎日のように降り注ぐ滴で、山の緑は青々と生気に満ちており、夜にはその中でホタルたちが揺れながら代わり番こに光を灯しています。



高地では山の斜面に村が構えられ、その周りにはとうもろこしが所狭しと植えられています。山の麓から中腹、高地にかけて、カカオやコーヒー、サイズの大きな多種の野菜果物が育ち、小規模でも市場はそれらの作物でとても色鮮やかです。人々は畑作業、牧畜の傍らで、裁縫や刺繍、編み物をしながら静かに暮らしています。



収集した薪を背負って歩く人々と追い越し際に挨拶を交わしながら、ゆっくりゆっくりと標高を上げ、また下げては上げ、ようやくサンクリストバル・デ・ラス・カサスの町に着きました。2,000mを越える高地にあるため、蒸し暑く蚊の多い低地から来ると、ここは天国のようです。目指すはとあるご夫婦が約7ヵ月前に始められた宿、ペンション・アレグレです。



「ジンボさんですか?」
先月、メキシコシティにある某有名日本人宿の茶の間でひとり夕食をとっているとき、一人の細身の男性が入ってきてそういわれました。目の前に立つ彼の顔を見て、あの日出会った男の顔と名前がすぐ浮かんできました。このとき、互いが互いの顔に弱冠現れている時の流れを確認しあったのではないかと思います。
約8年前の2010年の9月28日、西アフリカのガーナにあるギニア湾沿岸の町タコラディ郊外を走行中、道端で会い、短い会話を交わした旅人がその彼でした。彼はガーナ人の友人と一緒にいて、町を案内してもらっているところでした。カカオで知られるガーナでも、メキシコのようにとうもろこしを使った主食が多く、蒸し暑さの中を漕いで行く道の脇にはとうもろこし畑やらソルガムきび畑やらが広がっていたのを思い出します。



後から聞いたことですが、彼はそのときマラリア明けだったそうで、実は僕も彼と出会った2日後、そのバトンを受け継いだものとは露知らず、マラリアを発症し倒れているのですが、彼はその後にも、計11ヵ月のアフリカ滞在中、さらに2度マラリアを患ったとのことです。ちなみに、マラリアには予防薬はありますが、予防接種はありません。僕は副作用を心配して予防薬は服用せず、治療薬として、当時はガンビアで購入したコアルテムという薬を運んでいました。町でも在庫がないこともありますし、薬の手の入らない辺境で発症してしまったら大変です。マラリア感染地域に入る際にはできるだけはやく薬を用意して対策されることをお勧めします。

交わした会話は10分にも満たない時間だったと思いますが、強く記憶に残っていたのは西アフリカで出会った数少ない日本人であったということよりも、首に白いタオルをぶら下げた彼が見せる、飾り気のない優しい表情のためであったのかもしれません。
もの静かで優しくて、やることはやりとおす芯のある男といった感で、「そういう振りをしているだけ」だといってしまう人柄。彼のことを知れば、マラリア原虫からさえも愛されてしまうのも納得がいきます。通り過ぎていく自分の旅と違い、各地で一箇所に長く滞在しその土地に住む人々の中に入って濃い出会いを繰り返しながら6年半、飛行機も使わずに世界を旅してきた男。そんな男の旅は、2014年10月、やはりそのメキシコシティにある某有名宿での旅人との出会いによって、一人ではなく二人三脚で行く新たなステージに入りました。その旅人が彼の今の奥さんです。

呼鈴を押すと、ドアの向こうから彼が現れ、奥さんが現れ、温かく迎えてくれました。奥行きのある平屋で、玄関から開放感のある広々とした居間が覗きます。ハチドリも遊びにやってくる和みの庭には貯水池があり、その背後には桃の木が立ち、まだ熟していない緑色した実をいくつもつけていました。年が明けてしばらくすると、桃の花で白く染まるのだそうです。長く居ると気を遣わせてしまうとは思っていたのですが、結局居心地良さにあっさり白旗を揚げ、僕はここで予定より長く滞在してしまうわけです。

宿の名前になっているスペイン語で“明るい、嬉しい、幸せ”といった意味のアレグレという言葉はまさに奥さんの代名詞であるように思えるのですが、この空間にいる人、宿泊している方々みんながそういう気持ちになれるようにとつけてあるのだそうです。しかしながら、庭に咲くブーゲンビリアのように華やかで明るい彼女の横で、一番幸せそうにしているのが、彼女の旦那さんであるこの男のように滞在中僕には見えました。

とうもろこしも、ガーナやコートジボアールを中心に生産されているカカオも、中南米が原産で、ヨーロッパ人の到来により、後にアフリカに伝わっています。メキシコ南部にはテハテやポソルと呼ばれる、とうもろこしと炒ったカカオの種を粉砕してつくる飲み物があるんですが、オアハカ州で初めてそれに出会い、「これ何です?」と訊ねたとき、「bebida de dios (神の飲み物よ)」売り子の先住民女性がそう教えてくれました。


以来、汗で重たくなったシャツで町々に着けば、神からの恵みであるその飲み物を探して、砂糖を多めにポルファヴォールしてはよく飲んでいます。汗と疲れが引いて再びペダルを漕ぐ力を与えてくれます。とうもろこしのみならず、カカオが古来からこの中南部アメリカ大陸で暮らすマヤや他の先住民の人々にとってどのような存在で在り続けてきたのかを感じさせる、シンプルで実に印象的な言葉でした。


人の移動、物や言葉や文化の伝播。異なる離れた土地土地でも、そういったものが繰り返し為されて、多くのことが重複して混ざりあって世界は今に至っています。旅を続けていると、そう実感する場面が訪れます。自分の体験を通してそう感じられたとき、僕は旅をしていてよかったなぁと思います。今回の思いがけない再会を通してもまた、僕の頭の中である2つの点が線になり繋がりを持ち始めました。

同じ時代を旅してきた彼と再会できたことがうれしくて、放浪生活に区切りをつけ、「久々に住所を持った」という彼の暮らしを見るのが、何だか自分のことのように微笑ましくて、今回の出来事を書き残さんと、2人が新生活に選んだ町を見渡す丘に建つ、風通しの良い教会の中にて、今こうして筆をとっている次第です。旅人の間ですでに話題になっているこのコンビが創り出す美味メシの時間が近づいてきており、ヨダレを吸い上げるのに忙しくて集中できません。

これは無公開で真の世界旅をしてきた、僕が尊敬する大好きな一人の男の紹介であり、その彼との8年前の出会いを、マヤの土地を旅しながら、記憶を辿り顧みて書かれたものです。マヤの人々の生活に触れ、この“アレグレな男”に会ってからサンクリを出てみるのはいかがでしょうか。
2人の宿の紹介は他の旅人がたくさんしているようなので、詳しくはそちらで確認ください。人が人を呼ぶ宿って素敵ですよね。

※サトシさん瞬間どうもす!
パンダのような犬のパンディータ。ひょっこりどこからかやってきて居心地のよさにうっかり居ついてしまった猫の“ネコ先輩”もいます。
リョウスケ&ヒロミさん、宿で出会った皆さん、どうもありがとうございました。

ペンション・アレグレ(Pension Alegre)
Flavio A. Paniagua 69, Barrio de Guadalupe,
San Cristobal de las Casas, Chiapas, Mexico
http://pensionalegre.site/

@San Cristobal de las Casas

メキシコ南部、熱帯雨林帯に属するチアパス州は、マヤの人々が多く住む地域です。山村では精巧な刺繍入りの美しい伝統衣装を纏った女性が歩いていて思わず目を奪われてしまいます。長い雨季の中でも雨が最も多い時期らしく、近い空から毎日のように降り注ぐ滴で、山の緑は青々と生気に満ちており、夜にはその中でホタルたちが揺れながら代わり番こに光を灯しています。



高地では山の斜面に村が構えられ、その周りにはとうもろこしが所狭しと植えられています。山の麓から中腹、高地にかけて、カカオやコーヒー、サイズの大きな多種の野菜果物が育ち、小規模でも市場はそれらの作物でとても色鮮やかです。人々は畑作業、牧畜の傍らで、裁縫や刺繍、編み物をしながら静かに暮らしています。



収集した薪を背負って歩く人々と追い越し際に挨拶を交わしながら、ゆっくりゆっくりと標高を上げ、また下げては上げ、ようやくサンクリストバル・デ・ラス・カサスの町に着きました。2,000mを越える高地にあるため、蒸し暑く蚊の多い低地から来ると、ここは天国のようです。目指すはとあるご夫婦が約7ヵ月前に始められた宿、ペンション・アレグレです。



「ジンボさんですか?」
先月、メキシコシティにある某有名日本人宿の茶の間でひとり夕食をとっているとき、一人の細身の男性が入ってきてそういわれました。目の前に立つ彼の顔を見て、あの日出会った男の顔と名前がすぐ浮かんできました。このとき、互いが互いの顔に弱冠現れている時の流れを確認しあったのではないかと思います。
約8年前の2010年の9月28日、西アフリカのガーナにあるギニア湾沿岸の町タコラディ郊外を走行中、道端で会い、短い会話を交わした旅人がその彼でした。彼はガーナ人の友人と一緒にいて、町を案内してもらっているところでした。カカオで知られるガーナでも、メキシコのようにとうもろこしを使った主食が多く、蒸し暑さの中を漕いで行く道の脇にはとうもろこし畑やらソルガムきび畑やらが広がっていたのを思い出します。



後から聞いたことですが、彼はそのときマラリア明けだったそうで、実は僕も彼と出会った2日後、そのバトンを受け継いだものとは露知らず、マラリアを発症し倒れているのですが、彼はその後にも、計11ヵ月のアフリカ滞在中、さらに2度マラリアを患ったとのことです。ちなみに、マラリアには予防薬はありますが、予防接種はありません。僕は副作用を心配して予防薬は服用せず、治療薬として、当時はガンビアで購入したコアルテムという薬を運んでいました。町でも在庫がないこともありますし、薬の手の入らない辺境で発症してしまったら大変です。マラリア感染地域に入る際にはできるだけはやく薬を用意して対策されることをお勧めします。

交わした会話は10分にも満たない時間だったと思いますが、強く記憶に残っていたのは西アフリカで出会った数少ない日本人であったということよりも、首に白いタオルをぶら下げた彼が見せる、飾り気のない優しい表情のためであったのかもしれません。
もの静かで優しくて、やることはやりとおす芯のある男といった感で、「そういう振りをしているだけ」だといってしまう人柄。彼のことを知れば、マラリア原虫からさえも愛されてしまうのも納得がいきます。通り過ぎていく自分の旅と違い、各地で一箇所に長く滞在しその土地に住む人々の中に入って濃い出会いを繰り返しながら6年半、飛行機も使わずに世界を旅してきた男。そんな男の旅は、2014年10月、やはりそのメキシコシティにある某有名宿での旅人との出会いによって、一人ではなく二人三脚で行く新たなステージに入りました。その旅人が彼の今の奥さんです。

呼鈴を押すと、ドアの向こうから彼が現れ、奥さんが現れ、温かく迎えてくれました。奥行きのある平屋で、玄関から開放感のある広々とした居間が覗きます。ハチドリも遊びにやってくる和みの庭には貯水池があり、その背後には桃の木が立ち、まだ熟していない緑色した実をいくつもつけていました。年が明けてしばらくすると、桃の花で白く染まるのだそうです。長く居ると気を遣わせてしまうとは思っていたのですが、結局居心地良さにあっさり白旗を揚げ、僕はここで予定より長く滞在してしまうわけです。

宿の名前になっているスペイン語で“明るい、嬉しい、幸せ”といった意味のアレグレという言葉はまさに奥さんの代名詞であるように思えるのですが、この空間にいる人、宿泊している方々みんながそういう気持ちになれるようにとつけてあるのだそうです。しかしながら、庭に咲くブーゲンビリアのように華やかで明るい彼女の横で、一番幸せそうにしているのが、彼女の旦那さんであるこの男のように滞在中僕には見えました。

とうもろこしも、ガーナやコートジボアールを中心に生産されているカカオも、中南米が原産で、ヨーロッパ人の到来により、後にアフリカに伝わっています。メキシコ南部にはテハテやポソルと呼ばれる、とうもろこしと炒ったカカオの種を粉砕してつくる飲み物があるんですが、オアハカ州で初めてそれに出会い、「これ何です?」と訊ねたとき、「bebida de dios (神の飲み物よ)」売り子の先住民女性がそう教えてくれました。


以来、汗で重たくなったシャツで町々に着けば、神からの恵みであるその飲み物を探して、砂糖を多めにポルファヴォールしてはよく飲んでいます。汗と疲れが引いて再びペダルを漕ぐ力を与えてくれます。とうもろこしのみならず、カカオが古来からこの中南部アメリカ大陸で暮らすマヤや他の先住民の人々にとってどのような存在で在り続けてきたのかを感じさせる、シンプルで実に印象的な言葉でした。


人の移動、物や言葉や文化の伝播。異なる離れた土地土地でも、そういったものが繰り返し為されて、多くのことが重複して混ざりあって世界は今に至っています。旅を続けていると、そう実感する場面が訪れます。自分の体験を通してそう感じられたとき、僕は旅をしていてよかったなぁと思います。今回の思いがけない再会を通してもまた、僕の頭の中である2つの点が線になり繋がりを持ち始めました。

同じ時代を旅してきた彼と再会できたことがうれしくて、放浪生活に区切りをつけ、「久々に住所を持った」という彼の暮らしを見るのが、何だか自分のことのように微笑ましくて、今回の出来事を書き残さんと、2人が新生活に選んだ町を見渡す丘に建つ、風通しの良い教会の中にて、今こうして筆をとっている次第です。旅人の間ですでに話題になっているこのコンビが創り出す美味メシの時間が近づいてきており、ヨダレを吸い上げるのに忙しくて集中できません。

これは無公開で真の世界旅をしてきた、僕が尊敬する大好きな一人の男の紹介であり、その彼との8年前の出会いを、マヤの土地を旅しながら、記憶を辿り顧みて書かれたものです。マヤの人々の生活に触れ、この“アレグレな男”に会ってからサンクリを出てみるのはいかがでしょうか。
2人の宿の紹介は他の旅人がたくさんしているようなので、詳しくはそちらで確認ください。人が人を呼ぶ宿って素敵ですよね。

※サトシさん瞬間どうもす!
パンダのような犬のパンディータ。ひょっこりどこからかやってきて居心地のよさにうっかり居ついてしまった猫の“ネコ先輩”もいます。
リョウスケ&ヒロミさん、宿で出会った皆さん、どうもありがとうございました。

ペンション・アレグレ(Pension Alegre)
Flavio A. Paniagua 69, Barrio de Guadalupe,
San Cristobal de las Casas, Chiapas, Mexico
http://pensionalegre.site/

@San Cristobal de las Casas
2018.05.22
2018年3月4日~4月7日

3月4日、前夜までの雨は止み、快晴の空の下テカテ国境に向かった。話題のアメリカメキシコ国境、それなりに厳しい審査になることを覚悟でいくも、他に待ち人もおらず、誰にも何も咎められることもなかったため、思わずあれよあれよとパスポートチェックなしで一度通過してしまった。それほど、’’下り’’の警備は緩いもので、その後自ら戻って受けた入国審査もやはり同様に緩いものだった。
現在一人数十万とも百万円以上とも言われる大金を越境斡旋業者に支払い、あるいは自ら危険を侵しあの手この手で、不法滞在者や麻薬取引に対する厳戒態勢の警備の中を不法に越えていくものが多いという’’上り’’のアメリカ行きとは雲泥の差。
"すばらしい天気だ、空を見てみろアミーゴ’’
入国スタンプをくれた職員の男性は明るく、彼の陽気さはいよいよ始まるラテンアメリカの旅への期待をいっそう高めてくれた。



ぶどうの生っていない季節外れのワイン街道を進み、山を越え、コロラド川が行き着くデルタをかすかに遠くに見てからコルテス海に沿ってカリフォルニア半島を南下。距離表示はマイルからキロメートルへ。メキシコの道は路肩が狭く、当初は先が思いやられたけれど、町から離れると交通量はぐんと減り、またメキシコ人ドライバーの運転マナーは想像していたよりもずっと良く、ここまでそう危ない目に遭うことなく走ってこれた。





この半島はサボテンが気持ち良さそうに生える非常に乾燥した土地で、3月は暑さがくる前の最後の涼しい月。しかしそうはいっても日中30度を越える暑さで、すぐに肌の色が変わった。どこまでいってもサボテンばかりなもので、正直走行中の景色にはすぐに飽きてしまった。ただ、見上げるほどの巨大サボテンをはじめ、奇妙な形をした大小さまざまな種々のサボテンに囲まれて過ごす一風変わった夜は、テーマパークの中にでもいるような不思議な感覚に浸ることができ、これぞサボテン半島を走る醍醐味に違いないと勝手に思い込んでは、今日はどんな形をしたサボテンの横で寝ることになるやらと、毎晩の寝床選びが半島走行における一番の楽しみだった。





サボテンに好まれた半島には、数種のクジラもやってくる。アラスカからメキシコにかけての太平洋側はクジラが往き帰するクジラ海道になっており、なかでもこの半島にある潟湖はコククジラの繁殖地として世界的に知られているそう。彼らはアラスカから越冬のため、およそ10,000kmに及ぶ距離を2~3ヵ月かけて泳いでやってきては、春にまた同じ距離を、餌が豊富な冷たい北の海に向かって旅立っていく。「十分な脂肪の蓄えがあるので、北へ移動する間、彼らは食事をほとんど摂らないんですよ。」ロサンゼルスにいたとき、ポイント・ヴィセンテにある自然文化案内センター前で知識豊富な日系三世のボランティアスタッフがそう教えてくれていた。ちなみに赤ちゃんクジラは移動中もママクジラのミルクを飲むみたいだ。その量一日300~1,200リットルとか。赤ちゃんといってもクジラの赤ちゃん、スケールがでかい。

ちょうど繁殖のため暖かいメキシコの海にやってきた彼らを間近で観察するベストシーズンに当たっていたのだけれども、ゲレロネグロにある潟湖でのボートでの観察ツアー参加代は安いものではなかったので諦めて、その替わりに、先にある湾でカヤックをレンタルして水旅することにした。なんでもそこでティブロン・バイェナス(ジンベイザメ)に会えると聞いたものだから、気持ちは高まった。 数日後、ムレヘの町の南にあるその湾に着き、サドルに跨りながら、カヤックのレンタルできる場所を訊ねた男性が人間の姿をした神様であろうとは思いもよらなかった。「私のを使えばいい、お金なぞ要らん」 そもそも、カヤックをレンタルできる場所なんてないようだった。「あそこに見えるのがわたしの家だ、明朝好きな時間に訪ねてきなさい」

サンディエゴから25年前に移住してきたというポールさんは神様兼ガラス工芸職人。バーナーの火でガラスの棒を変形させていとも簡単にクジラやシャチ、イルカを作ってしまう。周辺の家々含め、湾岸にある彼の家には環境保護の観点から電気はきておらず、生活にはソーラーバッテリーをつかっている。水が澄んでいるのでアトリエからティブロンやクジラが泳ぐ影が見えることもあるという。


水の上からはサドルの上からとはまったく違う世界が広がった。水面で浮いているペリカンのすぐ横を通り過ぎると、トロピカルな魚と、エイが海草の周りを好んで泳ぎ、その傍らでヒトデがその体をでーんと広げている。川と違って流れがないので、近くに見える島でも実際着くにはうんと時間がかかって体力を消耗する。無人島のビーチでの休憩を挟み4時間ほど漕ぎ、風が出てくる前に、暑さから逃げるように陸に戻った。ポールさん曰く、僕の後ろをイルカの群れが泳いでいたそうだ。ティブロンの影を探して、風で波立ちはじめた水面をアトリエからしばらく眺めていた。



町の作りから、人、食べ物、物価などなど、激しい越境後の変化の中で、一番大きな変化はやはり言葉で、越境前に古本屋で購入したスペイン語の辞書を片手に、標識や看板に書かれた文字、野菜や果物の名前など、身近なものから単語を覚え頭に入れていく。ポールさんもそうだし、この半島にはアメリカ人旅行者やリタイヤしたアメリカ人移住者が多くやってくるため、彼らを相手に商売している人々などを中心に英語がずいぶん通じてしまう。こちらが一生懸命、数少ないボキャブラリーの中から単語を羅列して身振り手振りで会話を試みても、「英語でいいから」と冷めたい感じで言われてしまい、これじゃ練習にならんなぁと思うことが多々だった。



そんな中、半島南部のロレトの町を走行中、妙にウェルカムなご夫婦に呼び止められ、ファーストフードレストラン兼ご自宅で滞在させて頂ける機会に恵まれた。世間はセマナサンタというイースター前の連休に入っており、メキシコ人観光客が半島に押し寄せ、町でビーチでどんちゃん騒ぎが連日続く時期。「こんな暑い日に発つもんじゃないよ」「こんな風が強い日に発つバカいやしないよ」、「こんな連休中の車が多い日に発ったら危ないだろ、もう一泊していきなさい。」 朝を迎えるごとにそんな風にいってもらえて、1泊のつもりが、結局1週間の滞在に。皿洗いや掃除、下ごしらえ用の野菜を切ったりして手伝わせてもらいながら、ペダルを漕いでいるときには触れることのない日常会話に触れた。この英語を全く解さない、おおらかなご夫婦との出会いが良いきっかけとなり、滞在中少しずつ少しずつボキャブラリーが増えていった。僕の片言ぶりに大笑いしながらも、毎日教え諭す姿勢で接してくれた2人のおかげで、“この先なんとかやっていけるはず”という中南米でやっていく手応えのようなものが得られ、ロレトを発つときには、なんだかずいぶん大きくなったような気持ちで走り出せた。


実際は、入国から早2ヵ月発ち中央高原を走行中の今も、簡単なやりとりすらできず無力感にさいなまれる日々が続いていますが、これは誰もが通る道。いつの日か南米の旅が終わる頃にでも、ご夫婦に突然電話して、少しは上達しているだろうスペイン語であーだこーだと話し、2人を驚かせて喜ばせることができたならばさぞ素敵だろうと、そんなどっきり電話を実現できる日が来ることを夢見て進んでおります。

クジラとサボテン、そしてアメリカ人に好まれた半島で、こうして僕はラテンアメリカ旅の小さな初めの一歩を踏み出した。

@Mexico City