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2nd January 2016


Thanks to European unusual warmer winter, I managed to reach the northernmost point of my travel in this winter. However, intense cold air eventually has come to the area for last several days. Now it’s not easy to cycle on an icy road and find a place for nights in the blanket of snow. But I believe it’s still very much worth going on through white-colored roadside landscape, an amazing seasonal art that winter has brought. Soon I will take a first step of 2016 toward south. It could be a challenge to cross over the mountains which I would meet in Slovakia. Honestly I don’t have much confidence in surviving a long icy downhill with this temperature but I do try while looking forward to soaking in “Onsen” after the job. Let’s get on.

A happy new year to my friends from Lithuania, a republic along the Baltic Sea.
(photos from Lithuania and Belarus)

雪畑


2016年1月2日


暖冬に助けられ、今冬の走行北限地と決めていたバルト海沿岸のリトアニアまで無事辿り着けました。が、クリスマスが終わってからいよいよ寒気がやってきて現在は厳しい寒さが続いています。道が凍っているのでゆっくりしか進めないんですが、冬至を過ぎて日が少しずつ長くなってくれるのはプラス材料だし、この時期にしか拝めない雪景色もなかなかに素敵なもんです。これからポーランドに向けて南下に入ります。約1ヶ月後のスロヴァキアの山越えが踏ん張りどころとなりそうです。山向こうで待っている温泉に浸かるのを励みに走っていこうと思います。今年もよろしくお願いします。

あいすみち

りす

となかい

ゆきだる

てんと

ゆきはたけ

                              ※facebookより




あけましておめでとうございます。今回の年越しはリトアニアは杉原千畝さんの博物館があるカウナスという町のホステルで静かに迎えました。


前日の30日。気持ち昂ぶるわくわくスケートロードをとおって日没後に着いたのはUpninkaiという村。今冬走行最北地となったリトアニアの中でも自分が走った最北の道が導いてくれた村々の一つです。この村の学校裏に屋根下で雪のないコンクリスペースを発見。雪上に張るのは寒いので前日ケルナヴェの博物館横に張らせてもらったときと同様に、誰かに許可をもらおうと正面入り口に行きベルを鳴らすも誰も出てくる気配がありません。年末で学校も休みだし、人目もないし大丈夫だろうと判断して朝から結露で凍ったままのテントを取り出して設営し、雪を溶かして水をつくりインスタントラーメンをかきこんであたたまってから即寝袋に潜りこみました。

あいす

みずづくり

2時間ほど経っていたのではないかと思いますが、雪上を歩く足音が近付いてくるのに気付きました。テントから少し距離のあるところで足音が止み、しばらくしてすぐに足音は遠くに消えていきました。気持ち悪くて仕方なかったのですが、なんせ寒いのでどうすることもできず、そのままもごもごしていました。それからさらに約1時間後、赤い光を放つ車がテント横までやってきたと思った瞬間、今度は黄色い光で我が家が照らされました。

「Hello」

“Helloじゃねぇだろ、何時だと思ってんだ”と思いましたが、誰がどういう意味でそう言っているのかはもちろん理解できていましたので、もがきながら寝袋から上半身を引っこ抜いて入口から顔を出しました。9枚着込んでいるので寝袋から出るのもスムーズにはいきません。

青い目をした2人組の警察官と学校関係者と思われる2,3人の人がこちらを見下ろしていました。パスポートを見せ事情を説明し、「朝が着たらすぐ出て行きますので、それまでどうかここに居させてください」そう頼みました。自分のロシア語と同じように彼らの英語は片言だったので、用意してあったリトアニア語のカンニングペーパーを読みながら繰り返し許可を求めました。

「アシュ (I)・ノレチャウ (want to)・チャ(here)・パスィスタティテ(build)・パラピネ(tent)・ヴィエナイ(one)・ナクチアイ(night)」
(=一晩ここにテントを張らせてください)

パラピネ


「Go away」(ここから消えろ)


表情を一切変えずに警察官は言いました。
気温は-18度。時刻は22時をまわっています。学校関係者と思われる人々からは汚いものを見るかのような目が向けられていました。

この宣告に僕はただ狼狽してしまいました。今まで、世界中の人々から甘やかされてきたため、この状況で(この寒さで)Noはなかろうと思ってしまっていたのです。それに、この前夜は快く許可を頂けて博物館横で僕は夜を明かしていたのです。


「今からこの寒さと暗闇の中、いったいどこにいけっていうんですか」

「プラーシャム!(please) ・・・パシィスタティテ・パラピネ・・・!」 


「Go away」


「・・・パシィスタティテ・パラピネ・・・プラーシャム......」

パスィスタティテ・パラピネのキャッチーな音がなんとも虚しくその場に響きました。


「Go away 」


「…」



いよいよ寝袋から完全に身を出し、投げやりで荷物をまとめ始めました。
可笑しくなってきて笑えてきてしまいました。

「出てけってか。今からこの寒さの中。」

僕は完全に正気を失い、自分が志村けん口調になっていることに気付いていませんでした。

「出てけっていうなら出て行きますけどね、死にますよ俺。人ひとり朝までここに置くことでいったい誰の迷惑になるっていうんですか!」

100%こちらに非があるのにも拘わらず、完全に逆切れしてしまいました。
それほど出て行くのが怖かったのだと思います。

しかし、そう声を荒らげたところで、うんともすんとも言ってくれません。
といいますのも、日本語で言っているので伝わるわけがないのです。


震えながらの作業で小一時間ほどかかったでしょうか、パッキングを終えると、
頼りないヘッドランプの明かりを頼りに、暗闇の中へと続く白銀世界へと消えていきました。

村の出口を過ぎて1kmほどのところで、すぐに道脇に入りました。この暗闇ではもう場所などどこであろうが大して関係ありませんでした。体が完全に冷え切っていたため、身体が動くうちに、どこでもいいので一刻も早くテントを設営する必要があったのです。すると、パトカーが追いかけてくるのに気付きました。車両から先ほどの彼らが出てきます。一緒に写真をとらせてくれと言っています。何があったのかわかりませんが空気は完全に変わっていました。先ほどとは違って、彼らの表情には温かみが滲み出ていました。

その後、村の消防署内に案内されロッカー室のソファで眠ることを許されました。室内の掛け時計が深夜1時くらいを指していたのを覚えています。また人様に迷惑をかけてしまいました。情けなさやら無力感からなのかまたは単に温かさを得た安心感からなのかジィーンとしてしまいました。

ソファ

翌日の大晦日もやはり日没時にカウナスの町に着きました。ホステルでいつものようにルームメイトに頭を下げ、限りある大部屋の空きスペースをテント類や寝袋などの乾かしもので独占します。シャワーを浴び洗面器で洗濯を済ませた後、食材を買いに出て共同キッチンで米を火にかけ野菜を切り始めました。他の宿泊客たちはカウントダウンの花火を見に、スタッフ含め(おいおい)全員出ていきました。

年が変わる10分前くらいから花火が上がりはじめ、キッチンでその音を聞きながら、年越し鶏ひき肉野菜炒めごはんを食べました。4人前くらい食べました。そんな特に普段となんら変わらない穏やかな年越しの瞬間でした。

午前2時くらいにベラルーシ人カップルのペテロくんとダリアちゃんがほろ酔いで帰ってきて、「ダヴァイ、ダヴァイ」(飲め飲め)とシャンパンを勧められ花火の写真を見ながら「ナスタロヴィア」(乾杯)しました。これで多少それっぽく新年の訪れの中に身を置けた気分になりました。二人には本当に「ヂャークイ」(感謝)です。いちいちすみません。


何年か続けている“初詣”は2日に杉原千畝博物館を見学した帰りに近くのカトリック教会で簡単に済ませました。ナチスの迫害から逃れるためにユダヤ人が強いられた苦難の旅の軌跡に触れ、己の欲求を満たすための我が旅は、なんと生温く、そして有り難いものであるかと考えておりました。トヨタの新車が欲しいとぼやいていた館長のシモナスさんは、カウナスで生まれ育ったユダヤ人で、彼のお母さんは遠い異国ではなく、迫害が行われていたたこの地で、ある温かなリトアニア人家庭に匿われて戦火の中生き残ったのだそうです。「日本人だけではなく、毎年たくさんのユダヤ人が、ここを訪れるためにカウナスにやってくるのだよ」と一緒に歩いた帰り道に話してくださいました。

命のビザ


教会の扉を開けて外に出たとき、新しい年の始まりに身がキュっと引き締まりました。



@Bialystok・Poland
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hiromu jimbo

Author:hiromu jimbo
I'm in a challenge to cycle around the world
since May 2009,started from Istanbul,Turkey.
Motivation for this journey just comes from big curiosity about the world.I'd like to see and feel the ordinary life of the people living in defferent cultures.

2009年5月末イスタンブールより
自転車世界一周挑戦中です。
世界で起きていることへの大きな好奇心がペダルを回しています。その土地で生きる人の日常生活を見ていけたらと思います。

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*special thanks to sekiji-san

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68,781km (May09-May14)
77,679km (July14-June21)

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