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6th~13th September 2015

I finally “landed” in Europe after 16,000km from Delhi on my bicycle. I didn't know cyclists and even pedestrians are not allowed to cross the bridge suspended over the Bosporus straits that divide Istanbul with ''Asian side'' and ''European side'' until just before the moment. So quite unwillingly I got on a ferry. Here is exactly the place I started off my trip 6 years and 3 months back. Now my bicycle and bags look very old but as for myself, I’m still strong to see and feel the other parts of the earth. Greeting from Istanbul the capital of modern Turkey and the ancient empires.


In Istanbul I had someone I had long wanted to see. The man, Orhan, used to be a staff of a car rental company at the airport and he was the one who had given me a first glass of “chai” in my life and even a first invitation to stay in a local house when I was waiting for the next morning to come on a bench in the arrival floor of the airport in the very first night of my trip in 2009.

With a note written on my address book, I tracked down an apartment in a suburb of the town where he had once lived with his family and I had had a first intercultural experience of this trip through them. However, in the result, I couldn’t see him against my intention. They were likely to have moved somewhere long before and no resident knew about where they left for and strangely even about themselves. Well, I knew 6 years is such a time in which one’s life could be largely changed. Being filled with a sense of loss I next pedaled to a nearby big mosque where he had took me for Friday pray at the time. It was already getting dark. Having purified myself I stepped into inside the mosque and prayed in the same way, which was thought to be the only way I could tell him my return and restart and even extend my special thank to him for having kicked off this world tour full of encounter with people. After the pray I lay down on a bench in the compound just outside the mosque with a permit. Even then I might have expected he would come out of nowhere, possibly with a glass of chai in one hand just like that moment.



2015年9月6日~13日

8月4日、イスタンブール・アタチュルク空港。到着ゲートから50mほど離れたところにあるトイレの入口の横でアンは自転車を組み立て始めた。それを手伝いながら僕は向かいのレンタカーオフィスに“ある人”の姿を探していた。事前にオフィスで確認して、彼も彼のことを知っている人間さえももういないことはわかっていたのだけれど。

lental office

2009年5月31日、まさに同じこの場所で空港内のレンタカーオフィスに勤務する職員たちに囲まれながら僕は自転車を組み立てていた。イスタンブールの旧市街で数日過ごした明くる日の午後、市内郊外のギュネシュリにあるその職員のうちの一人のお宅にお邪魔した。空港に降り立って四苦八苦しながら自転車を組み立てたあとそのままベンチで朝が来るのを待っていた僕にチャイとサンドイッチをもってきてくれ、さらに「後日にでも寄っていきなさい」と自宅に招いてくれたのはオルハンという名の男性だった。人生初めての''チャイ''を差し入れてくれた彼こそこの出会いに満ちた旅の幕を切って落としてしまった張本人だった。

stamp

アイーシャ

当時のオルハンは奥さんと3人の子供を持つ37歳の父親。末っ子で4歳になるアイーシャは頗る可愛かった。どこに出掛けるわけでもないのに1時間ごとに服装を変えて僕の前に現れてはおどけて微笑んだ。長ズボンに履き替えさせられてから、オルハンに連れられ歩いて向かった先は近所の立派なモスク。金曜礼拝に参列し、彼や他の信者を見ながら見よう見まねで腕を組み膝を折り祈りを捧げた。夕食には絨毯の上の敷物に並べられた奥さんの手料理をご馳走になり、デザートにはバクラヴァを頂き、チャイグラスを空にすればすぐまたチャイが注がれた。言葉での意思疎通が思うようにできない環境で、どう接していいのかわからずタジタジだったけれど、日本からやってきて早々、求めていた異文化体験のさなかに自分がいることに終始興奮していた。

yemek

desert

「100万人いれば99万人は善良な人間だが、なかには頭のおかしなのもいるんだからな」 よく理解してもらえたか分からないけれど、自分の旅について身振り手振り交えながら伝えるとオルハンは心配そうな表情を浮かべた。「God looks at you」片言の英語でそう送り出してもらった約1ヶ月後、マケドニアから彼の住所に写真を同封して手紙を送った。何度か彼の親戚の経営する店の電話番号に連絡してみたけれど言葉が通じず切られてしまった。手紙が届いたのか確認する術は他になかった。

kids

2015年9月6日夕刻、ボスポラス海峡を渡る船に自転車ごと乗り込んだ。大陸を跨ぐ大橋は自転車での通行が認められていない。海の向こうにブルーモスクやアヤソフィアの姿を確認。周囲を取り囲むミナーレが天に向かって伸びている。再出発地インド・デリーを経ってから16,000km、ついに“ヨーロッパ”に上陸せんとしていた。そしてそこは6年前に旅のスタートを切った思い出の地。当時とは酷く対照的な自分の落ち着き様がなんだか頼もしくもあったのだけれど、其の実表現できぬ様々な想いが内に込み上げていた。先日アンを送迎するためにやってきた日帰りでのバスでの単純往復のときとはやはりわけが違った。

ボスポラス

ヨーロッパ側の街並みが次第に露わになってくる。当時僕はあの地から海を隔ててアジアを見ていた。ただその先に広がる広大な世界は空を飛んで日本からやってきた当時の自分にはおぼろげ過ぎて、大陸の狭間にいるという事実をリアルに感じることなど到底できやしなかった。距離感があまりに欠けていたから。でもインドから陸路を伝ってやってきた今の僕には、刻んできた轍を通じて、出会った人々見てきた景色を通じて、ここがどのような場所であり今自分が世界のどこにいるのか幾らかリアルに実感できる。こういう感覚を手に入れるために日々走っている、そうも言えるのかもしれない。ペダルを漕いできて良かったと思える瞬間だった。

simit shop

istan

simit

shehir

船から一歩踏み出したとき、まるで帰郷したかのような思いになれたのは単に旅の出発地点だからということだけではなく、この地でまた会いたい人がいたからであったと思う。町の中心部で数日過ごしたのち、アドレス帳の住所を頼りに自転車でギュネシュリのオルハンの自宅を訪ねた。彼が住んでいたアパートの1階には当時と変わらず商店があった。彼の親戚が経営していた店だ。しかし、店にいた男性に聞いてもアパートの住人に聞いても奇妙なことに一様にオルハンなど知らないと言う。人々に頼んで店の番号に電話してもらってもやはり繋がらない。仕事が変わっただけではなく、どこか他のところへ引越してしまったようだ。力が抜け途方に暮れていると、幼い少女が隣の建物から出てきた。「アイーシャ!」と叫んでしまってから気付いたけど、今頃彼女だって中学入学前くらいの年齢になっている。顔や背格好が当時の彼女に似ていたけど目の前にいる幼い少女がアイーシャであるはずはなかった。簡単に会えるだろうとずっと思ってきた。ただ6年という時の流れが人の暮らしを大きく変えるのに十分な時間量であることはもうよくわかっていた。

どんどるま

喪失感でその場所をようやく離れ向かったのは、彼が当時連れて行ってくれたギュネシュリのモスク。辺りはもうすっかり暗くなっていた。手、口、鼻、顔、腕、耳、首、頭、足を順に水で洗い身を清めたのちモスクの中に入る。――トルコに入国して約3ヶ月。日に5回とは言わずとも週に2度3度道中のモスクで祈りを捧げてきた。宗教心などなくともコーランが読めず形だけでも、祈りという行為で不思議に穏やかな気持ちになれる。その感覚が快かった。そして何よりオルハンと再会すれば、彼はまた僕をここへ連れてくるような気がしていたから―― 腕を前に組み目を閉じてオルハンに帰ってきたこと、旅のこと、そして再出発を簡単に報告した。これがこの国のどこかで元気に暮らしているであろう彼とその家族へ僕ができる唯一の旅の中間報告の手段であり、また感謝を伝える手段であるようにそのとき思われた。

ぎゅねしり

あの日彼に送り出してもらってからもう一度自転車に乗ってこの地にやって来られるなんて思ってさえいなかった。自分が旅に出る前に立てた世界一周の計画書を確認してもイスタンブールにもう一度戻ってくるなんてことは一切記載されていない。僕にそのつもりがなかったのだから彼なんて微塵もそんなこと期待しちゃいない。覚えていてくれるか怖くもあったけれど、どんな反応が返ってくるかずっと楽しみにしてきた。トルコという国を改めて走ってきたあとで彼と話したいことは少なくなかった。

その夜は許可をもらってそのままモスク敷地内のベンチで寝袋に包まった。
彼がまた現れてくれやしないか、このときだってまだそんな淡い期待を僕はしていたかもしれない。チャイグラスなんて片手に、あのときのように。

Orhan F





どうもおひさしぶりです。ウクライナの首都キエフまで来ています。
雪が降り始めた町を散策する傍ら、こつこつと精神面を中心に冬支度を進めていました。準備は整ったといいたいところなんですが、うれしい出会い再会に加え、温かい寝床を得ましてすっかり体がその温もりに慣れちゃって。

ということで出るのが億劫極まりないんですが、
入国日指定のベラルーシが呼んでいるので明日出発します。

ベラルーシってキャンプしても問題ないんでしょうか。
降雪のほか、それが当面の不安です。

行ってきます。

DSC_1856.jpg


@Kiev・Ukraine
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20th June~17th July 2015

My return to Turkey after 6 years accidentally coincided with Ramazan, the Islamic special month, in which Muslims do not eat, drink, smoke, or take part in sexual relations from sunrise to sunset. Basically Turkey is a generous Islamic country but as I had been in southeastern Anatolia, religiously most strict area, in nearly the whole month, most of the people seemed to follow the religious deed except for small children, ill persons and hard workers. Fortunately for me, although the restaurants are completely closed in the daytime, most of the shops were open even the fasting period. So it was not a big issue at all for my stomach condition. The most critical thing that Ramazan had brought me was I could not get a chai invitation, but some exception, from people who were banned in principal from even having a glass of chai following the rule. In general, tea time always gives me a good opportunity to chat with people so it was a real pity.

Cycling into the Kurdish land, the daytime temperature started rising up at over 40 degrees and I took off a Turkish flag pasted on my cycling bag since some Kurdish people kindly gave me an advice to do so from concern about my secure. In the last night of the month I pitched my tent in an olive field in the Euphrates river valley just behind a petrol station after taking final “Iftar “(evening meal to break the fast) with the staffs including an Arabic refugee worker from Syria who spoke little Turkish. On the way there I had seen some of the camps set up everywhere in and out the area for Syrian refugees. Compared with the Syrian Kurds who mostly seems to have some relatives or friends in Turkey, it would be very much hard for Arabic people to adapt themselves to Turkish society because of language barrier. Past 3am in the next morning right after an Azan, the Islamic call to prayer, which informed them the end of Ramazan, I closed my tent quickly and left the place in the dark as usual before the sun goes up and burnt the Mesopotamia plain and my brain without mercy.

mesopotamia


2015年6月20日~7月17日
ラマダーン(6月18日~7月16日)

有り金のジョージアン・コインで出国前にストーブ用のガソリンを補充しておく。次なる国トルコではガソリンは倍以上の値で売られている(1ℓ=約220~230円)。一回に購入するのは1リットルも満たない量だから大した問題でもないのだけどこの小さな節約の積み重ねが大事。越境すると通貨ラリは逆立ちしてリラになった。

kodomotachi

ガサガサっと発泡スチロール上を徘徊するトカゲたちが発する走音ならぬ騒音で目が覚めた。雨に濡れた体で黒海を臨む空き小屋で過ごした入国初日の夜はなかなかに不快なもの。黒海沿岸はとにかく雨が多くて気持ちも晴れなかった。Hopaの町に着くと人々はチャイに呼んでくれ、6年前と変わらぬ温かさをグラスに注いでくれた。が、実際はこの3日前よりイスラム世界は1ヶ月の断食月に突入している。図らずしてラマダーン月にきれいに被せるように入国してしまった。ムスリムは期間中の日の出前から日没まで飲食や喫煙、性交を断つ。国境を越えて間もない黒海沿岸ではジョージアや対岸のロシアなどの人々と文化がミックスされているためか、または旅行者の往来が盛んのためかロカンタ(食堂)も普通に開いていたし喫茶店ではそんなふうに普通にチャイを飲んでいる人も多かったため一見その影響はさほどないようにも思えた。

発砲スチロール

政教分離で寛容なイスラム国家であるトルコにあっても東部内陸部は宗教に厳格なエリア。内陸に行くにつれやはりラマダーンの影響をまともに受けるようになった。食堂は日中完全にクローズ。ありがたいことに売店は基本開いているので、購入して店の前などで食事をさせてもらう。路脇の野菜果物の直売所も心強かった。断食中の人々の手前一言断って了承を得て食べるのだけど、やはり視線も痛いし一人では食べづらい。町で宿に泊まったときは宿に戻って部屋で食事をした。暑くて生ものをバッグの中に長時間保管しておけないため売店がないような町間を走るときは食はよりシンプルになる。干しぶどうやオリーブ、ビスケット、そして焼きたてではなくなった腐る一歩手前のラマダーンピデ(パン)がすっかり定番のランチメニュー。

めろんすいか

メロンストップ

くわのみ

らずべりー

ただそのような食事情よりも自分にとって問題だったのはチャイに誘ってもらえないことに尽きた。日中、水もチャイもムスリムは“基本”飲んではいけないため、”例外”も実はそれなりにあったのだけれど、人々と交流できるもっとも良い時間であるティータイムを共有できる機会は少なかった。そしてそれは期間中イフタール(断食明けの夕食)に招いて頂けることはあっても、残念ながら一度も家に招いて頂く機会がなかったこととも無関係ではなかったと思う。国内でもっともホスピタリティが高いといわれるエリアを走っていただけにやはりそのことが残念だった。またタイミングが悪いことに同時期に反中国デモがイスタンブールで発生。中国政府が新疆ウイグル自治区に住むトルコ系のウイグル族に対して断食やその他の信仰行為の禁止を強制しているとされる問題に抗議したもの。みんなそのことを知っているので中国人顔の僕に対する応対も身元を伝えないといつも以上に残念なものであることがしばしばだった。

らまだんらんち

今回のように夏季に迎えるラマダーンはムスリムにとって一層つらいもの。イスラム暦に基づいたラマダーン月は毎年約11日ずつずれていくため年々その季節もずれていく。日の長い夏季にラマダーンを迎えている今は約17時間 (およそ午前3時~午後8時まで) 彼らは厳密には飲食することができない。それにもかかわらず日中喫茶店の席は男たちで埋まっていたりもする。大好きなチャイを飲まずにただ椅子に座って新聞を読んだりしてお腹が空かないように静かに日が沈むのを待っている。子供や病人、重労働者などを除きほとんどの人が断食している様子なのだけど、喫煙に関してはどういうわけか出会う人出会う人皆が一様に遠慮なく吸っている。この国のラマダーンには禁煙が除外されているのだろうか。ちなみにトルコではたばこ一箱20本入りが8~10リラ(400円~450円)する。

たばこ

大きな町の旅行者が多く訪れるエリアではカフェやレストランが日中でもまれに開いていて、普通に食事をしている旅行者の姿が散見された。ただ東部南東部ではこういうところは本当にまれ。大きい町の場合はイフタールどきの食堂は毎日大忙し。腹を空かせた人々が席に座って、ご馳走を前に19:45過ぎのアザーンが聞こえるのを今か今かと待ち侘びている。礼拝を呼びかけるこのアザーンが日没の合図。アザーンが鳴った瞬間、みな一斉に水やアイランを豪快に口の中に流し込む。厳格に断食を貫いた人にとっては17時間ぶりの水分だ。そして1時間もしないうちにもう食堂は閉店となる。モスクの前や広場などにはイフタール会場が設置され人々に無料で食事が提供されている。小さな町では売店が一斉に閉まり町から人影が消えゴーストタウンとなる。みんなイフタールのため家族のもとに帰るからだ。家族そろっての夕食を終えるとまた静かに何軒かが営業を始める、そういうパターンだった。

ラマダーンカレンダー

イフタール会場

Iftar

それなりにあった“例外”の中で面白かったのは、エルズルムからワン湖に向けてだだっ広い草原が広がる道を南東に進んでいたときのこと。ユニフォームを来た交通整理だか道路整備の仕事をしている5人の男性を遠くに見つけ、“しめた”と思いボトル内のお湯を水に変えてもらおうと彼らに近づいていく。すると予期せぬことにそのままランチに呼んでもらえた。聞けば5人のうち2人はアルメニア系のクリスチャン。2つのでかい石を風除けに新聞紙で薪に火をつけてフライパンに油を流し込むとソーセージと卵に素早く火を通してあっという間にランチタイム。残りの3人はクルド人ムスリムで断食中の身のためすぐ後ろでずっと座ってみていた。3人に「すみません」と伝えると3人ではなく5人からの「ノープロブレム」。食後のチャイも非ムスリムの僕ら3人のみでもらった。面白いという表現を使ったのは、ムスリムが大半を占めるこの国では珍しい異教徒で構成されたグループの興味深いラマダーン時の行動の一つのケースを見れたから。この場合非ムスリムの2人は気を遣って3人から離れて食事をするのが筋なのではないかなと思ったけど、彼らの友情の前にそんな気遣いは必要ないようだった。

道

ラマダーンランチ2

ラマダーンランチ

この貴重な“ラマダーンランチ”を体験した翌日からクルド人の土地に入った。トルコの旗はバッグから剥がした。クルドの人々がそうしたほうが良いと身を案じて忠告してくれたからだ。PKKのアジトがすぐ側にあるとのことだった。欧米諸国からテロリストのレッテルを貼られているクルド人組織PKK。ときに過激になりすぎテロとみなされても仕方がない行為もしてきたようだけれども少なくとも彼らの戦闘行為の根本にあるのは民族独立・解放といった真っ当なもので、イスラム国のように己の理想とする国づくりといった身勝手な思想に基づくものではない。シリア内トルコ国境付近のコバ二では現在もクルド人組織(YPG/YPJ)とイスラム国との戦闘が続いており、PKKはトルコ内から同胞を援護している。

pkk

amd

パン屋

結果的に同じことなのだけど、僕がこの時期にこのエリアに入っていったのは、シリアに近づくのが目的であったわけではなくクルド人の土地を見てみたかったから。もちろん行く先々で現地の人々に状況を訊ねながら。トルコ人に行く先を伝えると十中八九あそこはテロリストが住む場所で危険だからやめておけとなる。ところがクルド人に聞くと面白いことに国境を越えなければ全く問題ないといわれる。クルド人の話題をするとトルコ人は大概煙たい顔をする。両者には戦いの歴史がある。“教養レベルが低いテロリスト”そういう汚い言葉をクルドの人々に対して使う人がとても多い。そうなると僕はあまり気持ちよくはない。クルドの人々に聞くと「我々は彼らを受け入れようとしているが彼らは我々を受け入れようとしない」と同じ負の反応でも言葉を選んだ答えが返ってくる。僕はクルド側から話を聞くことが多いから思う事も日記帳に書く内容もどうしてもクルド寄りになる。

Van lake

クルドソング

クルド人の土地に入るとより厳しい暑さに襲われた。長い間40度のバーの越え方を忘れていた温度計の赤い感温液は、一度その越え方を思い出すとすぐに慣れてしまったようで連日11時過ぎにもなると当たり前のように40度のバーを越えるようになった。ガソリンスタンド内に付属してあるマスジッド (礼拝室) や売店脇の日陰などで横にならせてもらったりしながら、感温液が下りてくる夕方を待った。

きゅうり

おんどけい

boys

7月16日。ラマダーン月最終日はユーフラテス川流域のガソリンスタンドでアラブ人難民従業員とイフタールを共に頂き、その裏のオリーブ畑でテントを張らせてもらった。ここまでにすでにいくつかのシリア難民キャンプを横目に走ってきていた。トルコ内には現在200万人を超えるシリア難民が生活しているという。キャンプの数は入ってくる難民の数に追いついておらずどんどん外に外にと設営されているようだ。国境付近の町に集められた難民は大型バスで周辺のキャンプに輸送されていく。今やトルコは世界最大の難民受け入れ国になってしまった。シリア・クルドの人々には家族、親戚がいる場合が多くまた言葉の壁もないのでまだ適応性があるけれど、身寄りなく言葉の壁がある大半のアラブ人にとってはトルコ社会で生きていくのは容易なことではない。幸運にもガソリンスタンドや食堂、農園での雑務の職を得て働いているアラブ人シリア難民に何人かあった。彼らの話す片言のトルコ語には胸が痛み複雑な思いにさせられた。

camp

翌朝3時頃、オリーブ畑の中で聞いたこの日のアザーンはサフルの時間(断食前の朝食)を告げるものではなくラマダーン月の終わりを告げるもの。これをもって世間はバイラムと呼ばれる3日間のお祭りに入った。陽気な音楽が数分流れ、人々は歓喜して踊っているようだった。パン屋さんはもうラマダーンピデは焼かないのだろうか。テントをたたみ、ギラギラの太陽がメソポタミアの大地を照らす前にこの日もまた未明からペダルを漕ぎ始めた。

らまだんぴで

@Göreme・Turkey


※7月20日にウルファ南のスルチュで発生したイスラム国の犯行と見られる自爆テロに関連して起きた一連のいざこざにより、7月24日、トルコ軍はイスラム国(シリア内)、クルディスタン自治区(イラク内)への空爆を敢行。停戦していたトルコ軍とPKKの戦闘の再燃は避けられそうもない。シリア内戦に対してもトルコが本格的に参戦してくる様子。シリアは治まるどころかますます遠い場所になっていく模様。今こうしている間にもシリアでは人々が国境を目指して息を切らしながら戦火の中を生き延びている。近くで起きているあまりに遠い出来事に自分の身に置き換えて考えることが難しい。
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hiromu jimbo

Author:hiromu jimbo
I'm in a challenge to cycle around the world
since May 2009,started from Istanbul,Turkey.
Motivation for this journey just comes from big curiosity about the world.I'd like to see and feel the ordinary life of the people living in defferent cultures.

2009年5月末イスタンブールより
自転車世界一周挑戦中です。
世界で起きていることへの大きな好奇心がペダルを回しています。その土地で生きる人の日常生活を見ていけたらと思います。

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my journey
*special thanks to sekiji-san

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68,781km (May09-May14)
35,906km (July2014- )

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