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2018年3月4日~4月7日

days in playa



3月4日、前夜までの雨は止み、快晴の空の下テカテ国境に向かった。話題のアメリカメキシコ国境、それなりに厳しい審査になることを覚悟でいくも、他に待ち人もおらず、誰にも何も咎められることもなかったため、思わずあれよあれよとパスポートチェックなしで一度通過してしまった。それほど、’’下り’’の警備は緩いもので、その後自ら戻って受けた入国審査もやはり同様に緩いものだった。

現在一人数十万とも百万円以上とも言われる大金を越境斡旋業者に支払い、あるいは自ら危険を侵しあの手この手で、不法滞在者や麻薬取引に対する厳戒態勢の警備の中を不法に越えていくものが多いという’’上り’’のアメリカ行きとは雲泥の差。

"すばらしい天気だ、空を見てみろアミーゴ’’

入国スタンプをくれた職員の男性は明るく、彼の陽気さはいよいよ始まるラテンアメリカの旅への期待をいっそう高めてくれた。

la tienda

ruta de vino

cacto field

ぶどうの生っていない季節外れのワイン街道を進み、山を越え、コロラド川が行き着くデルタをかすかに遠くに見てからコルテス海に沿ってカリフォルニア半島を南下。距離表示はマイルからキロメートルへ。メキシコの道は路肩が狭く、当初は先が思いやられたけれど、町から離れると交通量はぐんと減り、またメキシコ人ドライバーの運転マナーは想像していたよりもずっと良く、ここまでそう危ない目に遭うことなく走ってこれた。

tacos

baja california

mar cortez

puertecitos-chapala

baja highway

この半島はサボテンが気持ち良さそうに生える非常に乾燥した土地で、3月は暑さがくる前の最後の涼しい月。しかしそうはいっても日中30度を越える暑さで、すぐに肌の色が変わった。どこまでいってもサボテンばかりなもので、正直走行中の景色にはすぐに飽きてしまった。ただ、見上げるほどの巨大サボテンをはじめ、奇妙な形をした大小さまざまな種々のサボテンに囲まれて過ごす一風変わった夜は、テーマパークの中にでもいるような不思議な感覚に浸ることができ、これぞサボテン半島を走る醍醐味に違いないと勝手に思い込んでは、今日はどんな形をしたサボテンの横で寝ることになるやらと、毎晩の寝床選びが半島走行における一番の楽しみだった。

in cactus field

cacto

DSC_0256.jpg

in cactus field again

snake zone

サボテンに好まれた半島には、数種のクジラもやってくる。アラスカからメキシコにかけての太平洋側はクジラが往き帰するクジラ海道になっており、なかでもこの半島にある潟湖はコククジラの繁殖地として世界的に知られているそう。彼らはアラスカから越冬のため、およそ10,000kmに及ぶ距離を2~3ヵ月かけて泳いでやってきては、春にまた同じ距離を、餌が豊富な冷たい北の海に向かって旅立っていく。「十分な脂肪の蓄えがあるので、北へ移動する間、彼らは食事をほとんど摂らないんですよ。」ロサンゼルスにいたとき、ポイント・ヴィセンテにある自然文化案内センター前で知識豊富な日系三世のボランティアスタッフがそう教えてくれていた。ちなみに赤ちゃんクジラは移動中もママクジラのミルクを飲むみたいだ。その量一日300~1,200リットルとか。赤ちゃんといってもクジラの赤ちゃん、スケールがでかい。

whales

ちょうど繁殖のため暖かいメキシコの海にやってきた彼らを間近で観察するベストシーズンに当たっていたのだけれども、ゲレロネグロにある潟湖でのボートでの観察ツアー参加代は安いものではなかったので諦めて、その替わりに、先にある湾でカヤックをレンタルして水旅することにした。なんでもそこでティブロン・バイェナス(ジンベイザメ)に会えると聞いたものだから、気持ちは高まった。 数日後、ムレヘの町の南にあるその湾に着き、サドルに跨りながら、カヤックのレンタルできる場所を訊ねた男性が人間の姿をした神様であろうとは思いもよらなかった。「私のを使えばいい、お金なぞ要らん」 そもそも、カヤックをレンタルできる場所なんてないようだった。「あそこに見えるのがわたしの家だ、明朝好きな時間に訪ねてきなさい」

bahia concepsion

サンディエゴから25年前に移住してきたというポールさんは神様兼ガラス工芸職人。バーナーの火でガラスの棒を変形させていとも簡単にクジラやシャチ、イルカを作ってしまう。周辺の家々含め、湾岸にある彼の家には環境保護の観点から電気はきておらず、生活にはソーラーバッテリーをつかっている。水が澄んでいるのでアトリエからティブロンやクジラが泳ぐ影が見えることもあるという。

paul-san

paul's art

水の上からはサドルの上からとはまったく違う世界が広がった。水面で浮いているペリカンのすぐ横を通り過ぎると、トロピカルな魚と、エイが海草の周りを好んで泳ぎ、その傍らでヒトデがその体をでーんと広げている。川と違って流れがないので、近くに見える島でも実際着くにはうんと時間がかかって体力を消耗する。無人島のビーチでの休憩を挟み4時間ほど漕ぎ、風が出てくる前に、暑さから逃げるように陸に戻った。ポールさん曰く、僕の後ろをイルカの群れが泳いでいたそうだ。ティブロンの影を探して、風で波立ちはじめた水面をアトリエからしばらく眺めていた。

water trip

uninhabited island

kayak

町の作りから、人、食べ物、物価などなど、激しい越境後の変化の中で、一番大きな変化はやはり言葉で、越境前に古本屋で購入したスペイン語の辞書を片手に、標識や看板に書かれた文字、野菜や果物の名前など、身近なものから単語を覚え頭に入れていく。ポールさんもそうだし、この半島にはアメリカ人旅行者やリタイヤしたアメリカ人移住者が多くやってくるため、彼らを相手に商売している人々などを中心に英語がずいぶん通じてしまう。こちらが一生懸命、数少ないボキャブラリーの中から単語を羅列して身振り手振りで会話を試みても、「英語でいいから」と冷めたい感じで言われてしまい、これじゃ練習にならんなぁと思うことが多々だった。

church

self taco

for pray 

そんな中、半島南部のロレトの町を走行中、妙にウェルカムなご夫婦に呼び止められ、ファーストフードレストラン兼ご自宅で滞在させて頂ける機会に恵まれた。世間はセマナサンタというイースター前の連休に入っており、メキシコ人観光客が半島に押し寄せ、町でビーチでどんちゃん騒ぎが連日続く時期。「こんな暑い日に発つもんじゃないよ」「こんな風が強い日に発つバカいやしないよ」、「こんな連休中の車が多い日に発ったら危ないだろ、もう一泊していきなさい。」 朝を迎えるごとにそんな風にいってもらえて、1泊のつもりが、結局1週間の滞在に。皿洗いや掃除、下ごしらえ用の野菜を切ったりして手伝わせてもらいながら、ペダルを漕いでいるときには触れることのない日常会話に触れた。この英語を全く解さない、おおらかなご夫婦との出会いが良いきっかけとなり、滞在中少しずつ少しずつボキャブラリーが増えていった。僕の片言ぶりに大笑いしながらも、毎日教え諭す姿勢で接してくれた2人のおかげで、“この先なんとかやっていけるはず”という中南米でやっていく手応えのようなものが得られ、ロレトを発つときには、なんだかずいぶん大きくなったような気持ちで走り出せた。

loreto

el bajon

実際は、入国から早2ヵ月発ち中央高原を走行中の今も、簡単なやりとりすらできず無力感にさいなまれる日々が続いていますが、これは誰もが通る道。いつの日か南米の旅が終わる頃にでも、ご夫婦に突然電話して、少しは上達しているだろうスペイン語であーだこーだと話し、2人を驚かせて喜ばせることができたならばさぞ素敵だろうと、そんなどっきり電話を実現できる日が来ることを夢見て進んでおります。

gracias sandra y eduardo



クジラとサボテン、そしてアメリカ人に好まれた半島で、こうして僕はラテンアメリカ旅の小さな初めの一歩を踏み出した。

landscape



@Mexico City
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2017年12月29日~2018年1月27日

layer


年末に風邪をひき、29日の夜に発熱、頭痛にうなされ新年を待たずにこのままテントの中で逝ってしまうんじゃないかと弱気になっていた。なんとか朝を迎え、なんとかパッキングを終え、なんとか走り出せた。サドルに跨ったらあとはペダルを漕ぐだけ、体にさほど負担はかからない。

camp

数日休もうと思って辿り着いた雪色をしたモアブの町で、ガソリンスタンドのスタッフに裏でテント泊する許可を求めた。返事はNo。アウトドアのメッカらしく宿泊施設がたくさんあるこの町ではこの手の方法は通じないようだ。その代わりに3mile先にアメリカで一番安いといわれるホステルがあると教えてくれた。北米でのドミ泊など端から諦めていた僕は、それまで料金を訊ねることさえしてこなかったのだけれど、”行くだけ行って、聞くだけ聞いてみるか” と、期待を持たないようにして行って聞いてみて、びっくり仰天。オフシーズン料金で通常の半額の1泊6ドルでベッドをもらえた。北米最初で最後であろうドミトリーにこの体調が悪いときにありつけるなんて。こうしてめでたく安静に滞在できる環境を得ることができ、年越しはユタ州のモアブで過ごすことにした。

案内された6人部屋に入ると、中に先客がひとり。僕と同じくらい量のある荷物に先ず目が行く。握手を交わしてからシーツをベッドにかける。シーズンオフのドミは静かで快適。一人になれるし、荷物を置けるスペースも十分。誰かいればお互いにその気があれば濃い話もできる。話をするには1対1が一番。友人同士ではないので、距離を保ちながらお互いに気が向いたときだけ話をすれば良い。先客のジャックさんはミシガン州出身の65歳。もうかれこれ数ヶ月住み着いているそうで、入居予定の公営住宅の入居日をここで待っているという。6人部屋は僕らと僕らの荷物だけですでにいい感じに満たされていた。自己紹介もそこそこにこの日はベッドに横になった。

翌日昼前に目覚めると、咳が出るほかは体調は大幅に回復していた。何も気にせず眠れて、なんといってもテントを畳まなくてよいのが有難い。昨夕は認識できなかったけれど、ジャックさんのベッドの横にはゴルフセットが壁に寄り掛けてあってベッド下には各々5kg以上はある丸い石が2つ置いてある。

「侵食された丸石は手に優しい。タダだからいつでも簡単に捨てられるしな。」少し上流のコロラド川で拾ってきたというこの石でジャックさんは毎日ベランダでダンベル体操をして鍛えている。アメリカは、一体誰に医療にアクセスできるのかと思ってしまうほど医療費が高いため、医療機関に世話にならないように健康でいることはとても大事なこと。健康に良いというオメガ3という脂肪酸を魚缶で摂取し、18時以降は何も食べないように長く心掛けてきたらしい。ジャックさんはずいぶん前に奥さんと別れたらしく、子どももいるようだけど疎遠でずいぶん前に会ったっきりだそうだ。

「明日、アーチーズ国立公園にでもドライブにいくか?」 ジャックさんが夕方そう持ちかけてきた。引きこもりたかったのと、ここを出たら自分で自転車で行こうと思っていた場所だったのでそう伝え断った。なんだかジャックさんはえらく淋しそうだ。“本当に断って良かったのか、そうそうないんじゃないのかこんな機会は…” 耳元でキン消しサイズのミート君のような少年が自分の決断の是非を徐々に問い始め、数時間後ついにそれを覆してしまった。「キャニオンランズ国立公園はどうですか?少し距離長くなりますけど、ガス代出すんで。」 短い会議の結果、朝日を見に行くことになった。つまり、初日の出だ。引きこもる予定だった元旦の予定は予想外な展開でわくわくプランに塗り替えられた。

「しかしスマートフォンってやつぁ本当スマートだよなぁ」

無意識に口にしてしまったことに照れた様子で、ジャックさんはベッドで横になって日の出の時間をスマートフォンで調べている。朝6時に発つことになり、5時30分にアラームをセットして、あとはスマートフォンが設定どおりにスマートに起こしてくれることを信じて消灯。年が変わった朝、湯を沸かして作ったコーヒーを互いにサーモボトルに入れ、ジャックさんの車に乗り込んだのが6時ジャスト。非常にスマートな展開だ。

真っ暗で何も見えなかったけれど、町を出るとすぐコロラド川を渡った。ジャックさんはあれこれキャニオンランズの峡谷が形成された経緯を僕に語りかけてくれている。話を100分の1に小さくして簡単に要約するとキャニオンランズはコロラド川とグリーン川の浸食によってコロラド高原に形成された2つの峡谷が眺められる場所ということでいいと思う。地質学者であるジャックさんはこの分野のスペシャリストだ。グランドキャニオンでガイドをしていたこともあるらしく、「岩壁に描かれているのは地球の歴史だ。そのストーリーを感じながらグランドキャニオンを歩きなさい。」と口を酸っぱくして言われた。早朝だし元旦だし、入口ゲートに係員はいなかった。ジャックさんが持っているシニアパスを見せる必要さえもなく国立公園に入る。ここもアーチーズもジャックさんはもう何度も来ているので速い速い。

メサ・アーチという場所につく頃にはもうライトがいらないくらい明るくなっていた。眺望ポイントまで少し歩くとすでに15人ほどの人が来ており、水による浸食で形成されたアーチ状の岩の周りに集まっている。このアーチの内側から見る日の出がどうもオツらしい。7時半すぎにようやく日が上り、カァーと明るくなり光線がアーチの中に一気に入ってきてアーチの内側は燃えるような色になった。

first sunrise

初日の出なんて見たのはいつぶりだろうか。少なくとも旅を始めてから迎えた9度目の元旦にして初めてのこと。ジャックさんのおかげで感慨深いシーンとともにすばらしい新年のスタートが切れた。横で遠くを見つめているジャックさんにそうお礼を伝え、「前にいつ初日の出を見たのか思い出せないんですよ」と、色を変えていく大地を見ながら呟く。少し間を挟んで、かすれたような声が返ってきた。

「わたしも思い出せんよ」
「太古のむかしのことだ」


光線を浴びながら合掌。自分が信仰の対象にできるのは自然だけだなと改めて思った。お天道様は今年も僕の行く道を照らし見守ってくださるだろう。

view

canyonlands

green river

white trail

snow deers

他のいくつかの眺望ポイントに寄り、11時前には国立公園を後にした。「まだまだ見所はこれからこれから」とジャックさんが僕に見せたくてたまらんとばかりにうれしそうに車を走らせてくれた先はたくさんの恐竜の足跡が見られるという場所。

dinosaur model
※ちなみにここじゃない

およそ45億年前に誕生した地球の上に、恐竜が生きていたのはおよそ2億3500万年前~6500万年前の間の1億7000万年間と推定されている。鳥類は恐竜の子孫と考えられているそうで、鳥以外の全ての恐竜は隕石の落下で絶滅してしまった。この隕石落下による絶滅説は極めて有力な説らしい。人類の祖先が東アフリカに出現したのはわずか数百万年前のことだ。恐竜がいかに長く地球上に存在していたかがわかるし、地球の歴史の途方もない長さも漠然と頭に入る。足跡はかつて沼地だったところにつけられたもので、やがてそこに土砂が堆積、その後土地が隆起した拍子に昔の地層が押し上げられて地表にでてきたものだそうだ。全体の半分も理解できなかったけど、車内でジャックさんの話を聞いているだけでとても面白かった。

human history

幹線をおりると雪道になり、もう少し走るとやがて到着。他には誰もいない。車を下りてジャックさんのあとについて雪道を歩いていく。

「…」
「バカな…なんてこった」

雪が化石のある地表を覆っていた。浅い雪ではあるけれど、囲いの中に入って雪を取り除く行為は許されない。

「すまん…雪のことを考えてなかった」

期待していたわけではなかったので、若干申し訳ないほど、僕はショックなど受けていなかった。どうせなら見たかったけれど、足跡が見れないことを悔やむ気持ちよりも、ジャックさんの意気消沈した姿に、そんなにも本気になってくれている姿に、ここに来られてよかったなぁとだけ思っていた。

fossil field

それに、このあと注意深く見て周ると、足跡がひとつ、その姿を地表に出してくれていた。でもジャックさんの表情は硬いままだった。僕に見せたかったのはもっと大きくてもっとスマートな足跡だったみたいだ。

footprint

e panel

町への帰り道、最後にコットンウッドとヤナギの木々が並ぶ川岸に止まり、朝はまだ暗くて見れなかったコロラド川を初めて拝んだ。キャニオンランズの眺望ポイントからはグリーン川は見れたけど峡谷が深くてコロラド川は見ることができなかった。泥をおびた赤い川は両脇の岩壁を映して黄金色に輝いている。これまでどおり、ジャックさんが説明してくれる。「土地の隆起と川による侵食が同時に進んで、昔は同じ高さで流れていた川は今では岩を削り谷を造り、自らが作った峡谷を見上げながら今も大地を削り続けているんじゃよ」

colorado river

走っていれば地球の大きさは日々感じられる。季節の移り変わりで地球が公転していること、日や月と星の動きで地球が自転していることを感じることもできる。でも大地の成り立ち、地球の歴史について深く考えたことなんて今までなかったんじゃないかと思う。

大満足の元旦ドライブを終え、宿のキッチンでサンドイッチを作って食べた。普段と何ら変わらないものなのに、なんだかそのサンドイッチが地層のように見えてしかたなかった。ベッドに横になると僕はすぐにうとうとし始めた。自分の咳で目覚め、ふと隣のベッドに目を遣ったときベッド下の2つの丸石がなくなっているのに気付いた。

J's


それから約3週間後、僕は数百キロ下流にあるグランドキャニオンの南壁に引かれたトレイルを歩いていた。もちろん約1500m下を流れるコロラド川と再び対面するためだ。

trail

最大幅およそ90mのコロラド川はおよそ600万年の時間をかけてパンをスライスするようにコロラド高原を垂直に削ってきた。また、それに付随して岩壁の割れ目に入り込んだ雨水や雪解け水は、寒い夜に凍ると膨張し岩を砕く。こうした侵食の繰り返しは、急速に、といってもほぼ人類史に相当するような時間を経て、長さ446km、平均幅16kmにもおよぶV字型の大峡谷を造り出してしまった。

g canyon view

C river

グランドキャニオンに露出している地層は18億4000万年前~2億7000万年前のものといわれている。岩盤部は傾いているけど、年代順にきれいに層になって堆積している。パークレンジャー曰く、上層にあった恐竜時代の地層は侵食ですべて洗い流されてしまったため残っていないのだそうだ。ちなみに、アリゾナ州北部にあるグランドキャニオンはグランドステアケースと呼ばれる地層が階段状になっている地形の最下部に位置している。その最上部に位置するユタ州南部のブライスキャニオンでは、9700万年前~恐竜時代よりも新しい5000万年前に堆積した地層が見られる。こちらの場合、古い地層は今も地中下に沈んでいるという理解でいいんだと思う。

layer chart

pedaling in the grand staircase nm

bryce

staircase chart


峡谷下部まで下がると最上部の森林帯とは全く違った植生になる。そこはサボテンが群生する半砂漠帯の大地だ。ようやく川岸に立った僕の前を流れる水は緑色をしている。水中の土砂は、大峡谷手前に建設されたダムが造り出したパウエル湖に堆積するからだそうだ。コロラド川の水はそこで垢を落としたあと、再び流れ始め、大峡谷へと入っていく。

zigzag

cactus

colorado river at the bottom of G canyon

glen canyon dam

仮にここで川底にある丸石をひとつ取り出したならば、それはひょっとしたら18億年もの前に形成された最下部の岩盤が侵食されたものである可能性もなきにしもあらずなわけだ。ちなみに国立公園内の植物、石、砂などの持ち出しは一切禁止されている。緑色した流れを前に、このとき僕は良からぬことを考え、悪い顔になっていたかもしれない。

hike up

川岸の岩に座り、地層サンドを食べてエネルギーを補給する。派手に下ってしまったからには派手に上らなければいけない。残念ながら楽な道だけではないのは世の常だ。下りとは違うルートをとり、めっきり落ちたペースで倍の時間を費やして一歩一歩上がって行く。聳え立つ’’岩壁に描かれたストーリー’’を見上げながら、2つの丸い石を使ってダンベル体操をしている人の顔が終始頭に浮かんで離れなかった。その人は僕に素晴らしい年の始まりと恐竜への関心、地球の歴史への関心を与えてくれた人であり、その人が手に握っているその丸石はコロラド川が地球史の末端の末端の末端に描いた短い短いストーリーそのものだった。

grand canyon view




新年最初の写真でがっつり目をつぶってしまいましたが、その分ジャックさんがスマートな表情をしているのでOKです。

with Jack-san


@Beaumont/California




2017日9月24日~11月1日

eat beef


9月24日朝、草むらでテントをたたんでいたとき、聞き覚えのある音で空を見上げた。20羽ほどの白鳥の群れが越冬するために北から帰ってきたところだった。“もうそんな頃かぁ” 忘れもしない、トランペットの音色のような鳴き声は春にユーコンで聞いていた。

野営地に連泊してつくった新ハンドルカバーを試しながら、彼らが飛んでいった方角へと進んで行く。なかなかに良い出来で、るんるん気分。使用した生地は北極圏にあるイヌイット文化資源センターで頂いたバッグからのもの。単に防寒という意味ではなく、自分にとってより実用的な形に変えたことで、極北での出会いを身近に感じていられる。

new handlecover

forest fire

25km漕ぐと国境に着いた。イランや他のイスラムの国々の入国履歴があるため不安に思っていたアメリカ入国はその不安をよそにすんなりとしたものだった。入国後そのままロッキー山脈沿いに走行、今夏は山火事が酷く、カナダ側と同じく日によって空はとても煙たかった。モンタナ州を越えワイオミング州にある世界最初の国立公園であるイエローストーン国立公園を訪れた。自転車だと15ドルで7日間園内に滞在できる。園内の大部分が2000mを越える高地で、少し寒いけど紅葉と雪の白のコンビネーションが見られる10月も美しい時期。ただ、峠のたびに天候に嫌われてしまった。

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CSC_0488.jpg

trees

monmoth springs

10月8日、Dunraven峠 (2700m) にようやく辿り着いたときには吹雪になっていた。視界不良でワイヤーも凍ってよわったことに変速も利かなくなった。山の天気は本当に読めない。長い上りの間にころころと空模様は変わった。上り始めたときは青空が出ていたんだけれど。時間も予想よりもかかってしまい、もう直に暗くなる時間。国立公園内は指定されたキャンプ場に泊まらなければならないのだけれど、身の安全のため止むを得ず峠にあるトイレで朝を待つことにした。

dunraven pass

frozen wires

マイナス15度、この気温では臭いなんてものはない。身を置けるその狭い空間にある非常に邪魔くさい便器がちょっと固めのソファに思えるほどに愛らしく思えた。住めばトイレさえも都になってしまうのか。この雪で峠への道は閉められたようで、峠にいた写真をとってくれたおじさんの車が去り、その後1、2台車が過ぎていってからは有難いことに誰も上がって来なかった。そう思っての判断でもあった。

wc

もともとこの峠は毎年10月10日で閉まる。前日に降った雪でこの日の昼頃まで峠への道は閉まっていたのだけれど、運良くちょうど開いたタイミングで中に滑り込めていた。そうでなければ40km近く同じ道を引き返さなければならなかったので、僕は走れる喜びを感じながら上り始めていた。その数時間後、峠は再び閉ざされ、結局そのまま例年より少しだけ早く野生動物だけの楽園となったようだ。てっぺんのトイレにいる人間をひとり残して。

いったい僕はいつまでこうやって遷都を繰り返し、一夜城を各地に築いては畳む生活を続けるのだろうか。眠りに落ちるまで、雪が建物に吹き付ける音と風の音がやけに大きく聞こえていた。

wc

yellowstone lake

geyser

canyon

old faithful

ao

7日間の滞在の中で、その夜の印象が僕の中であまりに強く残ってしまったわけなんだけれども、大きな滝が水しぶきをあげる壮大なワイオミングのグランドキャニオン、美しいイエローストーン湖を背景にコトコトと水蒸気を噴き上げている間欠泉など他にも印象的なシーンをいくつか見せてくれた。バイソンが闊歩し、警戒心の強いエルクもこの保護区では安心感からか驚くほど開放的で人懐っこかった。

bison

elk

sylvan pass

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Rocky

へっぴり腰でやはり雪の舞うSylvan峠 (2600m)を下り、紅葉で美しい峡谷を過ぎると山脈東麓に広がっているのは荒涼とした大草原。投げ縄を腰に下げテンガロンハットをかぶったカウボーイたちが牛を追う姿が見られ、アメリカ西部開拓時代の歴史の中へと引きずり込まれていく。州中央部には開拓者たちが新しい土地、金を求めて東部から西部のオレゴンやカリフォルニアへ旅をしたときの幌馬車の轍がまだ残っているところもある。人の往来で道ができ、動物がいなくなっていくことに怒った先住民との衝突のほか、厳しい自然環境の中を進んで行く過酷な旅だったようだ。

cows

cowboy

cows and cowboys

西部への移住者が増えるにつれ、東西をつなぐ郵便制度の重要性が増せばそのサービス改善が急がれるようになる。1861年10月末に電信線が大陸に引かれる前は、2年弱の短期間だったようだけど、移民が通っていったのと同じようなルートで、ポニーによる手紙や新聞紙などの郵便物の配達が行われていた。ミズーリ州のセントジョセフから西海岸のサンフランシスコまで片道約10日かけて郵便配達人がポニーに跨ってリレー形式で東西を奔走していたそうだ。さらにそれ以前はなんと東海岸のニューヨークから蒸気船でいったん現在のパナマへ運ばれ、運河が建設される前なので、列車で対岸へ渡されたのち、再びパナマからカリフォルニアへ船で運ばれていた時期もあるそうで。電子メールで瞬時に行えてしまう現代からみると笑い話にしか聞こえないような話だけれど、当時は大真面目でパナマ往復で “how are you? ” が運ばれていた。所要1ヶ月以上かかることもあり、手紙はともかく新聞が西海岸に着くころには紙面のニュースはもういい具合に古くなっていたというのはやはり笑い話だ。蒸気船、駅馬車、ポニーリレー、列車に電信、こうして広大な東西の距離は19世紀の間に急速に縮められていった。

hay field camp

oregon trail

驚いたことに、ワイオミング州はアラスカを含めてアメリカ合衆国でもっとも人口が少ない州らしく、地元民曰く「人間よりも野生動物の数のほうが多い」のだとか。周辺に棲む象のほうがその町の人口よりも多いのをうたっていた町がボツワナにあった記憶があるけど、そんな合衆国内のボツワナのような州の小村で泊めて頂いたティピーの中で横になれば、天井幕の隙間からのぞくのはもちろん寒空一面の星空だ。

tepee

ティピー

Thanks, Paula and Patrick

上着の着脱に忙しい勾配が急な巨大なビッグホーン山脈の峠(2950m)を越えると、再び目が届く限りに広がるクリーム色をした草原の中で、張られた柵などお構いなしに飛び越えてはしゃぐ白尾鹿やアンテロープの群れが見られる。パウダー川盆地は国内最大の炭鉱地帯のようで、大陸を横断する貨物列車が石炭を満載してその長い体をクネクネさせて太平洋沿岸の町へ、あるいはメキシコ湾岸のテキサスの港町へと重い車両を引っ張って行く。山脈から吹き付けてくる強烈な西風は時に敵にもなり、そんなときはこちらのペダルを漕ぐ脚も鉛のように重く指先が凍てつき顔もカサカサになる。過ぎて行く列車を見遣りながら、“わずか150年前、鉄道が敷設される前にはスーやシャイアン、アラパホといった平原に生きる先住民たちが馬に乗って自由にバイソンを追っていた時代がここにあったんだよなぁ“と西部史の中にさらに浸かっていく自分を感じ、その当時の風景を思い浮かべては僕は静かに興奮していく。

field

tongu river

train

beside railway

little bighorn

fetterman

many bisons

bison hunting

入植者に奪われていく土地を守り、狩猟民族としての伝統的生活を守るため、アメリカ軍の侵略に抵抗し、敗れ、文化を破壊された平原先住民たち。その戦いの史跡、彼らの現在の保留地、また聖地とされる場所を訪ねてその後モンタナ州・ワイオミング州を往き来してきた。木々の葉は枯れ落ちハロウィンも終わり、気付けばもう11月。アラスカからの寒気の通り道だそうで、平原にもすっかり厳しい寒さが押し寄せてきた。ロッキー山脈に戻る前に、個人的に強い関心のあるスー族に会うため、また先住民の自由を求めた戦いの終焉と抵抗の象徴の地であるウーンデッド・ニーでの個人的参拝のため、パインリッジ保留地を目指してもう少し東進したいと思う。

mato tipila

in between

ぱんぷきん

DSC_1268.jpg

change of season


どうもです、毎度のことおひさしぶりです。
僕は元気にやっています。
ワイオミングからサウス・ダコタ州に入ったところです。

最近はみぞれや雪が降ってばかりです。
止めばすぐ溶けてなくなる程度のものなんですが、風が冷たくどんよりしていてかないません。
明日は太陽がみたいです。明日こそ出てくれるんじゃないかと思います。

みんなもよい一日を過ごしてください。

spearfish


@Spearfish /South Dakota


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hiromu jimbo

Author:hiromu jimbo
I'm in a challenge to cycle around the world
since May 2009,started from Istanbul,Turkey.
Motivation for this journey just comes from big curiosity about the world.I'd like to see and feel the ordinary life of the people living in defferent cultures.

2009年5月末イスタンブールより
自転車世界一周挑戦中です。
世界で起きていることへの大きな好奇心がペダルを回しています。その土地で生きる人の日常生活を見ていけたらと思います。

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*special thanks to sekiji-san

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68,781km (May09-May14)
53,765km (July2014- )

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