2023.05.10

I’m going to have an opportunity to talk in public about my bicycle trip in Africa at someone’s photo exhibition held in Tokyo this month. In case that miraculously you are in Tokyo next weekend, please think of coming to see me in the exhibition. Your visit there will make me super happy for sure. (just tell me, I will send you the detail) Hope you are doing very well. Thanks friends.
ご無沙汰しております。
帰国してから、はや2年が経とうとしています。
現在は、宮崎の山村で木こり修行中の身です。
今月東京で開催される、徳永瑞子さんの写真展にて、旅の話をさせていただくことになりました。“アフリカの母と子”というテーマの写真展ですので、もう大分昔のことのように思われますが、アフリカの旅についての話をできればと思っています。
都内近郊の方、遠方の方ももちろん、もし時間ありましたら是非いらしてください。
数枚ですが、自分の撮った写真も展示されます。
2年前、コロナ禍での帰国となり、みんなの前で帰国の報告という空気ではなかったので、お世話になった方々、旅先で出会った方々、日本で応援してくれた方々にこの機会に改めてお礼と「ただいま」が言えたら、うれしいなと思っております。
写真展は5月12日(金)〜5月21(日)まで開催されます。入場は無料です。
僕の話は20日(土)の13時から、21日(日)は11時から、それぞれ1時間ほどとなる予定です。
懐かしい顔ぶれに出会えること、楽しみにしております。
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2021.09.12
2021年7月中旬
6月10日22時半に、チリのサンチアゴを発ってから、ずっと太平洋上空を飛んでいたため、自分が座っていた進行方向左側の窓から初めて見えた陸地はパナマの夜景でした。登頂したバルー火山で拝んだご来光、カリブ海で釣り上げた魚のこと、心を折られたコスタリカの激坂に、太平洋カリブ海両側の背の高いヤシの木が揺れる美しいビーチの風景などなど、現地で過ごした時間が思い起こされました。乗客はまばらで、1列に9人が座れる座席には1人乗客がいるかいないかといった具合。スカスカの状態で飛んでいるので、乗客たちが席を離れて3つ並んだシートの肘掛けを上げてベッドにして横になって眠っている機内の様子は、航空会社にとってどれほど今が大変な時期であるかを容易に見てとることができるものでした。
11日午前8時過ぎ、経由地である米国アトランタ上空。雲間から景色が再び見えるようなると飛行機はゆっくり高度を下げていきます。夏のアトランタは、冬の南半球からやってきた分、余計に暑くて、羽田便の出る搭乗ゲートまで歩いていくのに、サンチアゴの空港で預け荷物の規定重量超過防止対策で、預け荷物にせず、着込んでチェックインした羊毛セーターやらフリースなどの衣類を7枚羽織っていたため、汗だくになってしまいました。
およそ3時間後の午前11時半、アトランタから東京まで約12000kmの空の旅が始まりました。機内は相変わらずガラガラ。顔立ちから察するに、おそらく乗客の大半は米国在住の日本人。このパンデミック禍、米国外から乗り継ぎで来て日本へ行く人は少ないだろうし、チリはおろか、南半球から日本へという人も僕だけだったのではないかと思います。客室乗務員に英語で何か訊ねられても、イエスではなくスィが、サンキュではなくグラシアスが最後まで無意識に出てきてしまいました。米東部を離れると、聖山ブラックヒルズやラコタ族が居住するパインリッジ保留区などを訪ねて駆け抜けた中央大平原が広がります。冬期に越えることとなった思い出深いロッキー山脈は、残念ながら雲がかっていて何も見えませんでした。目が覚めて窓のカバーを開け外を見渡せば、もう太平洋上空を飛んでおり、機内からはブリティッシュコロンビア、ユーコン、アラスカにかけて環状に180度雪を頂いた山々が連なって見える絶景が。どこもかしこも自分が自転車で走ってきた土地土地。白に輝くベルーガクジラや、壮大な氷河を目の当たりにしたアラスカのキーナイ半島、コディアック、そして、アリューシャン半島の付け根まで、やがて雲に視界を塞がれてしまう前に、窓に額を押し付けながらなんとか見届けることができました。パンデミックでの中断含め、5年かけて自転車で走ってきたアメリカ大陸の道程を、帰国前に、空から遡って味わうことができるだなんて、なんと気の利いた粋な贈り物であろうかと思っておりました。飛ばせば赤字というような状況の中で、分断された世界と世界が、そして人と人とが繋がれる機会を提供し続けてくれている航空会社とその職員の方々のおかげで、地球の裏側にいる家族友人たちと再び会うことができることに、終始感謝の気持ちでいっぱいでした。
4月中旬。チロエ島のキャンプ場を出て、パタゴニア走行を始めて数日後、アイセン州の州都コジャイケに着いたとき、前の月に予約しておいた6月14日発予定のフライトが、何の説明もなくキャンセルされたとのメールを受け取ったときはとても慌てました。4月初旬に急遽、感染防止策として、チリ政府が特別な理由なしでのチリ人の出国を禁止したことを知っていたので、航空会社及び代理店から説明が一切なくとも、事情は察することができました。パンデミックが始まって以来、ただでさえ航空便の欠航が相次いでいるなか、ネットを検索して出てくる便は、さらに激減。非常によろしくないインターネット環境の中、夜通しかけてなんとか予定を狂わされることなく、幸運にも近い日にちで予約できたのが6月10日発のデルタ航空の便。ほっとしましたが、この便に関してもまたキャンセルされてしまわないだろうかと、パタゴニア走行中、不安は絶えることがありませんでした。
6月12日14時頃、デルタ航空295便は定刻より30分ほど早く、羽田空港に無事着陸しました。機内から出ると、じめっとした暑さに捕まえられ、すぐに汗ばんできました。7年ぶりの日本。自動販売機が並ぶ通路。知らない俳優・スポーツ選手ばかりの種々の広告。ウォシュレットな公衆トイレ。蒸し暑くて衣類を着込んで歩くことなどとてもできないため、両手で抱えきれないほどの衣類を何度もフロアに落としながら、空港内を歩いて移動します。
検疫所からの質問票、誓約書の他、チリ出国及び米国出国時に提示したものと同じ、すでに72時間の有効期限の過ぎているPCR検査陰性証明書を提示したあと、唾液採取によるPCR検査の受検といった流れで空港内をぐるぐる歩かされます。事前にインストールしておくことが求められていた、隔離期間中に必要なビデオ通話のためのアプリや位置情報確認用に必要なアプリがスマートフォンにインストールされているかのチェックやボランティアスタッフによるそれらアプリの設定説明などのプロセスを経て、待合所でさらに1時間も待っていると、PCR検査の陰性結果を受け取ることができました。
自転車の入ったダンボール箱含めた預け荷物一式を受取り到着ゲートへ。通常、迎えに来た人々でごった返している到着ゲート前は閑散としており、寂寥感漂う到着フロアが広がります。事前に自分で予約していた隔離用のホテルへは、公共の交通機関(国内線飛行機、電車、バス、タクシーなど)を使用することは許されないため、警備中の警察官に断ってからトイレ横で大きな荷を広げ、自転車組み立て及び荷物パッキング作業。その後ろには”東京オリンピック2020”と書かれた、この時点で開催されるのかさえ未だに懐疑的な、翌月へと迫ったスポーツの祭典の展示がされていました。たまに通るマスク姿の通行人の中には話しかけてくる人は誰もいません。海外ならば、質問攻めに遭ってもおかしくない状況です。いろいろなことが次々と起こる”日常であった非日常”から帰ってきたことを実感し、帰国早々に軽い旅シックのようなものを感じました。
旅の疲れと空腹のなか作業を続け、すっかり暗くなってしまった時間に、チリ国旗を付けたままのフルパッキングの自転車に跨り、ようやく空港出発。自転車での移動が果たして許されるのか、確認をとっていなかったので、不安ではありましたが事無く東京の夜空の下へ。イギリス走行ぶりの左側通行。海からの風が心地よく、意外に快適な東京の道。サイクルレーンや自転車利用者のことを考えた標識標示が、この数年でずいぶん整備されたものだなと感心しました。予約した隔離用ホテルにチェックイン。往復して荷物を部屋に運び、浴槽に湯を溜めて肩まで浸かります。ペルーで浸かった温泉ぶりの湯舟は気持ち良すぎて浴槽内で眠ってしまいました。
滞在中は、インストールしたアプリを通じて厚生労働省の入国者健康管理センターから現在地を報告するようにとの通知が1日に複数回来るので、その都度報告。他には、メールによる健康状態のチェックと、同管理センタースタッフからのビデオ通話による居所確認が2週間毎日ありました。
隔離期間を終え、やはり気持ち良い風が吹く、広々とした多摩川沿いを上流に向かって快走。60kmほど走り日没前に相模原の実家に到着。ドアホンを鳴らすと、初めて顔を合わせる5歳の甥が一番に走って出てきて、「ひろくん、ひさしぶり!」と声をかけてくれ迎えてくれました。歳をとった父母は階段の上り下りが辛そうですが今も健在でいてくれ、兄夫婦も、すっかり成長した二人の姪っ子も元気そうです。旅を始めたとき、まだ生まれていなかった上の姪は11歳になり、もう立派なお姉さんといった風です。
数日後、机の引き出しを整理していると、世界旅行の計画書や旅を始めるにあたって、当時暮らしていたアパートの部屋や北海道大学の図書館などで調べものをしていたときの記録が出てきました。あの頃の、未知の世界に対する希望に溢れ、不安でいっぱいで、興奮みなぎる気持ち…。思いがけず触れることとなった20代の自分が抱いていた旅に対する強い思い。その夢実現の旅の終盤に差し掛かったところで帰国を余儀なくされた今、それを見る40歳となった自分。やはりこのままでは終わることはできない、その思いを再確認することができました。保留となった夢実現の旅。生まれる新たな夢々。さあ、これからどのように生きていこうか。いろいろな選択肢を考えながら、元気な甥と相撲をして過ごす、7年ぶりの日本の梅雨です。
※7月中旬JACC投稿近況報告文より
@Japan